さいたま市北区のキリスト教会 キリスト兄弟団大宮教会
今年もクリスマスの季節がやって来ました。
兄弟団大宮教会のクリスマス礼拝へお越しください。
クリスマス礼拝
12月20日 10:30-12:00(礼拝)
12:30-14:00(祝会)
キャンドルライトサービス
12月24日 19:00-20:00
2015年12月16日水曜日
2015年9月10日木曜日
オレら、何で生きてんねん
さいたま市北区のキリスト教会
大宮教会プレゼンツ 秋の特別集会
「オレら、何で生きてんねん」
大宮教会では秋の特別集会として、堀之内豊氏(シャローム病院チャプレン)をお招きしての講演会を行います。人生の意味や価値、目的について共に考え、聖書からその答えを探るときとなればと願います。どうぞどなたでもお気軽にお越しください。祝福して歓迎いたします。
2015年4月4日土曜日
2014年12月14日日曜日
クリスマスのご案内
さいたま市北区のキリスト教会 キリスト兄弟団大宮教会
クリスマスのご案内
今年もクリスマスの季節がやって来ました。
みなさんはどのようにクリスマスを過ごされますか。今年のクリスマスはぜひキリスト兄弟団大宮教会で、「本当のクリスマス」を体験してみませんか。
21日(日) クリスマス礼拝&パーティ
23日(火) キッズクラブ(こどものためのクリス
マス、大人の方も大歓迎です)
24日(水) キャンドルライトサービス(ろうそくの
灯りの中でキャロルを歌い、祈りをさ さげます)
いずれの集会もどなたでも参加できます。大歓迎致します。クリスマスはあなたのためにあります。どうぞお越しください。お待ちしてます!
2014年10月14日火曜日
召天者記念礼拝
さいたま北区のキリスト教会
10月19日は召天者記念礼拝です
先に天に召された信仰の先輩たちを偲び、共に神さまを礼拝します。
天国への希望を告白し、味わう時となることを願います。
午後は納骨式となります。
10月19日は召天者記念礼拝です
先に天に召された信仰の先輩たちを偲び、共に神さまを礼拝します。
天国への希望を告白し、味わう時となることを願います。
午後は納骨式となります。
2014年3月3日月曜日
回復聖会~すべてが生きるのご案内
さいたま市北区のキリスト教会
キリスト兄弟団大宮教会では2014年3月16日(日)に、福沢満雄先生をお招きして、「回復聖会~すべてが生きる」という集会を致します。どなたでもご自由にお越しください。もちろんクリスチャン以外の方でも大歓迎です。
福沢満雄先生プロフィール
キリスト兄弟団大宮教会では2014年3月16日(日)に、福沢満雄先生をお招きして、「回復聖会~すべてが生きる」という集会を致します。どなたでもご自由にお越しください。もちろんクリスチャン以外の方でも大歓迎です。
福沢満雄先生プロフィール
1937年東京生まれ。
日蓮宗の家に生まれる。父はボルネオ島に出征し、敗戦後に酒乱になった。父親に虐待されながら、極度の貧困の中に育ち、小学生4年の頃から、妹と野菜泥棒をして飢えをしのいだ。
中学卒業後ニコンに就職。父親は家族を虐待し、家の中を破壊した。17歳の時ついに母親に暴力をふるう父親を刺し殺そうとするが、母は泣きながらとめた。ニコンの地下室で行われていた聖書研究会に出るようになり、その勧めで教会の礼拝にも出席するようになった。一年後の8月、牧師がイエス・キリストをいのちがけで信じていると悟った福澤師は、牧師の許に行き、イエス・キリストを信じて悔い改める祈りをした。
8年間ニコンで働いた後、両親に神学校に行くと告げると、父はヤソの坊主にだまされていると言い、母は給料が無くなると言って泣いた。東京聖書学院を卒業後、結婚し、開拓伝道をはじめるが、崩壊家庭で父親に虐待されて育った福澤牧師は、しつけらしいしつけを受けておらず、妻を愛することも出来なかった。妻は福澤牧師に母親代わりとなって、食事のマナーを教えると言った。
父親は死ぬ一ヶ月前にイエス・キリストを信じ、56歳で召天していた。それでも、福澤は父親に虐待される夢に、苦しめられていた。50歳のとき牧師夫人がオリーブ油を塗って祈ると、悪夢から解放された。
1963年以来東京、山形、川崎など各地で開拓伝道、牧会に携わる。1987年、ジャパン・カルバリークルセードを設立。巡回伝道者として日本各地や海外でもキリストの愛を語り続けている。特に家庭回復の働き「父の学校」の講師として活躍している。
<著書>
『イエスさまのかばん持ち』いのちのことば社
『人生のターニングポイント』いのちのことば社
『脱出への道』新生運動
『愛されるために』いのちのことば社
『主とともに歩む』いのちのことば社
『「信仰」という名の虐待』マインド・コントロール研究所 いのちのことば社 共著
2013年12月15日日曜日
2013クリスマス集会
さいたま市北区のキリスト教会 キリスト兄弟団大宮教会
2013クリスマス集会のご案内
クリスマスはどのように過ごされますか。予定がまだの人も、もう何をするか決めている人も、今年はキリスト教会で本当のクリスマスを体験してみませんか。日時は以下の通りです。
是非、ご家族、ご友人などをお誘いの上お越しください。もちろん、教会が初めてという方も大歓迎です。教会はクリスチャンだけのものではありません。すべての人にいつでも開かれています。
心よりお待ちしています。
2013クリスマス集会のご案内
クリスマスはどのように過ごされますか。予定がまだの人も、もう何をするか決めている人も、今年はキリスト教会で本当のクリスマスを体験してみませんか。日時は以下の通りです。
是非、ご家族、ご友人などをお誘いの上お越しください。もちろん、教会が初めてという方も大歓迎です。教会はクリスチャンだけのものではありません。すべての人にいつでも開かれています。
心よりお待ちしています。
2013年10月7日月曜日
この時のために
エステル記4章1~16節
1 モルデカイは、なされたすべてのことを知った。すると、モルデカイは着物を引き裂き、荒布をまとい、灰をかぶり、大声でひどくわめき叫びながら町の真中に出て行き、
2 王の門の前まで来た。だれも荒布をまとったままでは、王の門にはいることができなかったからである。
3 王の命令とその法令が届いたどの州においても、ユダヤ人のうちに大きな悲しみと、断食と、泣き声と、嘆きとが起こり、多くの者は荒布を着て灰の上にすわった。
4 そのとき、エステルの侍女たちと、その宦官たちがはいって来て、彼女にこのことを告げたので、王妃はひどく悲しみ、モルデカイに着物を送って、それを着させ、荒布を脱がせようとしたが、彼はそれを受け取らなかった。
5 そこでエステルは、王の宦官のひとりで、王が彼女に仕えさせるために任命していたハタクを呼び寄せ、モルデカイのところへ行って、これはどういうわけか、また何のためかと聞いて来るように命じた。
6 それで、ハタクは王の門の前の町の広場にいるモルデカイのところに出て行った。
7 モルデカイは自分の身に起こったことを全部、彼に告げ、ハマンがユダヤ人を滅ぼすために、王の金庫に納めると約束した正確な金額をも告げた。
8 モルデカイはまた、ユダヤ人を滅ぼすためにシュシャンで発布された法令の文書の写しをハタクに渡し、それをエステルに見せて、事情を知らせてくれと言い、また、彼女が王のところに行って、自分の民族のために王にあわれみを求めるように彼女に言いつけてくれと頼んだ。
9 ハタクは帰って来て、モルデカイの伝言をエステルに伝えた。
10 するとエステルはハタクに命じて、モルデカイにこう伝えさせた。
11 「王の家臣も、王の諸州の民族もみな、男でも女でも、だれでも、召されないで内庭にはいり、王のところに行く者は死刑に処せられるという一つの法令があることを知っております。しかし、王がその者に金の笏を差し伸ばせば、その者は生きます。でも、私はこの三十日間、まだ、王のところへ行くようにと召されていません。」
12 彼がエステルのことばをモルデカイに伝えると、
13 モルデカイはエステルに返事を送って言った。「あなたはすべてのユダヤ人から離れて王宮にいるから助かるだろうと考えてはならない。
14 もし、あなたがこのような時に沈黙を守るなら、別の所から、助けと救いがユダヤ人のために起ころう。しかしあなたも、あなたの父の家も滅びよう。あなたがこの王国に来たのは、もしかすると、この時のためであるかもしれない。」
15 エステルはモルデカイに返事を送って言った。
16 「行って、シュシャンにいるユダヤ人をみな集め、私のために断食をしてください。三日三晩、食べたり飲んだりしないように。私も、私の侍女たちも、同じように断食をしましょう。たとい法令にそむいても私は王のところへまいります。私は、死ななければならないのでしたら、死にます。」
私たちがこの世に生を与えられた目的は何でしょうか。それは神の栄光が自分という存在を通して表わされることです。そのためには神様への絶対的な信頼と信仰、そしてみ言葉に従順であるということが問われます。エステルが王妃としてペルシャの国に嫁いだのには目的がありました。それはユダヤ民族を滅亡の危機から救うというものでした。そのことを通して神の御業が表わされることを願って、神はエステルを選ばれました。養父のモルデカイはエステルに語ります。「モルデカイはまた、ユダヤ人を滅ぼすためにシュシャンで発布された法令の文書の写しをハタクに渡し、それをエステルに見せて、事情を知らせてくれと言い、また、彼女が王のところに行って、自分の民族のために王にあわれみを求めるように彼女に言いつけてくれと頼んだ。」(8節)「もし、あなたがこのような時に沈黙を守るなら、別の所から、助けと救いがユダヤ人のために起ころう。しかしあなたも、あなたの父の家も滅びよう。あなたがこの王国に来たのは、もしかすると、この時のためであるかもしれない。」(14節)この神から与えられた召しは、決して易しいものではありません。なぜなら、王に民族抹殺の法令の取り消しを願うことは、それこそ自分の命を懸けなければならなかったからです。「王の家臣も、王の諸州の民族もみな、男でも女でも、だれでも、召されないで内庭にはいり、王のところに行く者は死刑に処せられるという一つの法令があるを知っております。しかし、王がその者に金の笏を差し伸ばせば、その者は生きます。でも、私はこの三十日間、まだ、王のところへ行くようにと召されていません。」(11節)
しかし、エステルが取った決断はこうでした。 「行って、シュシャンにいるユダヤ人をみな集め、私のために断食をしてください。三日三晩、食べたり飲んだりしないように。私も、私の侍女たちも、同じように断食をしましょう。たとい法令にそむいても私は王のところへまいります。私は、死ななければならないのでしたら、死にます。」(16節)彼女は自分の命が主のものであることを悟っていました。また自分の使命に対してまっすぐに向き合いました。自分の信仰の決断が民族を救うのだということを彼女は信じ従いました。神はすべての人を召しておられます。その目的や用い方は違いますが、神の召しは普遍的であり、主権的なものです。あなたを通してでしか現わされない神の業があるのです。
1 モルデカイは、なされたすべてのことを知った。すると、モルデカイは着物を引き裂き、荒布をまとい、灰をかぶり、大声でひどくわめき叫びながら町の真中に出て行き、
2 王の門の前まで来た。だれも荒布をまとったままでは、王の門にはいることができなかったからである。
3 王の命令とその法令が届いたどの州においても、ユダヤ人のうちに大きな悲しみと、断食と、泣き声と、嘆きとが起こり、多くの者は荒布を着て灰の上にすわった。
4 そのとき、エステルの侍女たちと、その宦官たちがはいって来て、彼女にこのことを告げたので、王妃はひどく悲しみ、モルデカイに着物を送って、それを着させ、荒布を脱がせようとしたが、彼はそれを受け取らなかった。
5 そこでエステルは、王の宦官のひとりで、王が彼女に仕えさせるために任命していたハタクを呼び寄せ、モルデカイのところへ行って、これはどういうわけか、また何のためかと聞いて来るように命じた。
6 それで、ハタクは王の門の前の町の広場にいるモルデカイのところに出て行った。
7 モルデカイは自分の身に起こったことを全部、彼に告げ、ハマンがユダヤ人を滅ぼすために、王の金庫に納めると約束した正確な金額をも告げた。
8 モルデカイはまた、ユダヤ人を滅ぼすためにシュシャンで発布された法令の文書の写しをハタクに渡し、それをエステルに見せて、事情を知らせてくれと言い、また、彼女が王のところに行って、自分の民族のために王にあわれみを求めるように彼女に言いつけてくれと頼んだ。
9 ハタクは帰って来て、モルデカイの伝言をエステルに伝えた。
10 するとエステルはハタクに命じて、モルデカイにこう伝えさせた。
11 「王の家臣も、王の諸州の民族もみな、男でも女でも、だれでも、召されないで内庭にはいり、王のところに行く者は死刑に処せられるという一つの法令があることを知っております。しかし、王がその者に金の笏を差し伸ばせば、その者は生きます。でも、私はこの三十日間、まだ、王のところへ行くようにと召されていません。」
12 彼がエステルのことばをモルデカイに伝えると、
13 モルデカイはエステルに返事を送って言った。「あなたはすべてのユダヤ人から離れて王宮にいるから助かるだろうと考えてはならない。
14 もし、あなたがこのような時に沈黙を守るなら、別の所から、助けと救いがユダヤ人のために起ころう。しかしあなたも、あなたの父の家も滅びよう。あなたがこの王国に来たのは、もしかすると、この時のためであるかもしれない。」
15 エステルはモルデカイに返事を送って言った。
16 「行って、シュシャンにいるユダヤ人をみな集め、私のために断食をしてください。三日三晩、食べたり飲んだりしないように。私も、私の侍女たちも、同じように断食をしましょう。たとい法令にそむいても私は王のところへまいります。私は、死ななければならないのでしたら、死にます。」
私たちがこの世に生を与えられた目的は何でしょうか。それは神の栄光が自分という存在を通して表わされることです。そのためには神様への絶対的な信頼と信仰、そしてみ言葉に従順であるということが問われます。エステルが王妃としてペルシャの国に嫁いだのには目的がありました。それはユダヤ民族を滅亡の危機から救うというものでした。そのことを通して神の御業が表わされることを願って、神はエステルを選ばれました。養父のモルデカイはエステルに語ります。「モルデカイはまた、ユダヤ人を滅ぼすためにシュシャンで発布された法令の文書の写しをハタクに渡し、それをエステルに見せて、事情を知らせてくれと言い、また、彼女が王のところに行って、自分の民族のために王にあわれみを求めるように彼女に言いつけてくれと頼んだ。」(8節)「もし、あなたがこのような時に沈黙を守るなら、別の所から、助けと救いがユダヤ人のために起ころう。しかしあなたも、あなたの父の家も滅びよう。あなたがこの王国に来たのは、もしかすると、この時のためであるかもしれない。」(14節)この神から与えられた召しは、決して易しいものではありません。なぜなら、王に民族抹殺の法令の取り消しを願うことは、それこそ自分の命を懸けなければならなかったからです。「王の家臣も、王の諸州の民族もみな、男でも女でも、だれでも、召されないで内庭にはいり、王のところに行く者は死刑に処せられるという一つの法令があるを知っております。しかし、王がその者に金の笏を差し伸ばせば、その者は生きます。でも、私はこの三十日間、まだ、王のところへ行くようにと召されていません。」(11節)
しかし、エステルが取った決断はこうでした。 「行って、シュシャンにいるユダヤ人をみな集め、私のために断食をしてください。三日三晩、食べたり飲んだりしないように。私も、私の侍女たちも、同じように断食をしましょう。たとい法令にそむいても私は王のところへまいります。私は、死ななければならないのでしたら、死にます。」(16節)彼女は自分の命が主のものであることを悟っていました。また自分の使命に対してまっすぐに向き合いました。自分の信仰の決断が民族を救うのだということを彼女は信じ従いました。神はすべての人を召しておられます。その目的や用い方は違いますが、神の召しは普遍的であり、主権的なものです。あなたを通してでしか現わされない神の業があるのです。
2013年9月16日月曜日
秋の特別礼拝
さいたま市北区のキリスト教会
初めての聖書~分かりやすい聖書の話
聖書は、国や文化、言語、時代を超えて人々に愛され続けている世界のベストセラーです。今や世界の2700以上の言語に翻訳されていることからもその影響力の大きさが分かります。聖書は神の知恵と愛の結晶であり、読む者に希望を与え、罪からの救いに至らせる唯一の書物です。聖書について関心がある方、学んでみたい方、どうぞお越しください。
日時 9月22日(日)
午前10時30分~12時
お待ちしてます!!
初めての聖書~分かりやすい聖書の話
聖書は、国や文化、言語、時代を超えて人々に愛され続けている世界のベストセラーです。今や世界の2700以上の言語に翻訳されていることからもその影響力の大きさが分かります。聖書は神の知恵と愛の結晶であり、読む者に希望を与え、罪からの救いに至らせる唯一の書物です。聖書について関心がある方、学んでみたい方、どうぞお越しください。
日時 9月22日(日)
午前10時30分~12時
お待ちしてます!!
2013年8月19日月曜日
特別礼拝のご案内
さいたま市北区のキリスト教会
キリスト兄弟団大宮教会では、8月25日(日)に横浜教会牧師の小野寺その枝先生をお迎えして「心のいやしの礼拝」を致します。先生のお証しと開かれる聖書の言葉を通して主イエスさまの癒しを受け取りましょう。席上献金の時がありますが、入場は無料です。どなたでもお気軽にお越しください。もちろんクリスチャンじゃなくても大歓迎ですよ。
日時 8月25日(日)10:30~12:00
会場 キリスト兄弟団大宮教会礼拝堂
お待ちしてま~す(#^.^#)
キリスト兄弟団大宮教会では、8月25日(日)に横浜教会牧師の小野寺その枝先生をお迎えして「心のいやしの礼拝」を致します。先生のお証しと開かれる聖書の言葉を通して主イエスさまの癒しを受け取りましょう。席上献金の時がありますが、入場は無料です。どなたでもお気軽にお越しください。もちろんクリスチャンじゃなくても大歓迎ですよ。
日時 8月25日(日)10:30~12:00
会場 キリスト兄弟団大宮教会礼拝堂
お待ちしてま~す(#^.^#)
2013年8月1日木曜日
真夏のコンサート
さいたま市北区のキリスト教会
今年もやってきました。韓国ホーリネス教会協力による特別プログラム。
今回は、イエス様の愛「真夏のコンサート」として、ダンス、ゴスペル、ハンドマイム、バイブルメッセージなど内容盛り沢山でお送りします。
メッセンジャーは、ソウル聖楽聖潔教会牧師のカン・アニル先生です。
ご期待ください。
日時 2013/8/3(土)19:00~20:30
会場 キリスト兄弟団大宮教会
どなたでもお気軽にお越しください。入場無料です。お待ちしてま~す!!!
今年もやってきました。韓国ホーリネス教会協力による特別プログラム。
今回は、イエス様の愛「真夏のコンサート」として、ダンス、ゴスペル、ハンドマイム、バイブルメッセージなど内容盛り沢山でお送りします。
メッセンジャーは、ソウル聖楽聖潔教会牧師のカン・アニル先生です。
ご期待ください。
日時 2013/8/3(土)19:00~20:30
会場 キリスト兄弟団大宮教会
どなたでもお気軽にお越しください。入場無料です。お待ちしてま~す!!!
2013年7月18日木曜日
主の前に
Ⅰ列王記11章1~13節
1 ソロモン王は、パロの娘のほかに多くの外国の女、すなわちモアブ人の女、アモン人の女、エドム人の女、シドン人の女、ヘテ人の女を愛した。
2 この女たちは、主がかつてイスラエル人に、「あなたがたは彼らの中にはいって行ってはならない。彼らをもあなたがたの中に入れてはならない。さもないと、彼らは必ずあなたがたの心を転じて彼らの神々に従わせる。」と言われたその国々の者であった。それなのに、ソロモンは彼女たちを愛して、離れなかった。
3 彼には七百人の王妃としての妻と、三百人のそばめがあった。その妻たちが彼の心を転じた。
4 ソロモンが年をとったとき、その妻たちが彼の心をほかの神々のほうへ向けたので、彼の心は、父ダビデの心とは違って、彼の神、主と全く一つにはなっていなかった。
5 ソロモンはシドン人の神アシュタロテと、アモン人のあの忌むべきミルコムに従った。
6 こうしてソロモンは、主の目の前に悪を行ない、父ダビデのようには、主に従い通さなかった。
7 当時、ソロモンは、モアブの、忌むべきケモシュと、アモン人の、忌むべきモレクのために、エルサレムの東にある山の上に高き所を築いた。
8 彼は外国人の自分のすべての妻のためにも、同じようなことをしたので、彼女たちは自分たちの神々に香をたき、いけにえをささげた。
9 主はソロモンに怒りを発せられた。それは彼の心がイスラエルの神、主から移り変わったからである。主は二度も彼に現われ、
10 このことについて、ほかの神々に従って行ってはならないと命じておられたのに、彼は主の命令を守らなかったからである。
11 それゆえ、主はソロモンに仰せられた。「あなたがこのようにふるまい、わたしが命じたわたしの契約とおきてとを守らなかったので、わたしは王国をあなたから必ず引き裂いて、あなたの家来に与える。
12 しかし、あなたの父ダビデに免じて、あなたの存命中は、そうしないが、あなたの子の手からそれを引き裂こう。
13 ただし、王国全部を引き裂くのではなく、わたしのしもべダビデと、わたしが選んだエルサレムのために、一つの部族だけをあなたの子に与えよう。」
ソロモン王はすべてを持っている王でした。地位、名誉、財産、権力、名声、そして知恵に富み、主を畏れ、荘厳な主の神殿を築き上げることができたのもソロモンの治世においてでした。しかし、これらの祝福は彼自身によってもたらされたものではありません。父ダビデの信仰と悔い改め、また、彼自身の主の御心に叶う祈りの結果によってもたらされたということができます。
彼は父ダビデが罪を犯し、その裁きが下った後に誕生した子ではありましたが、主はダビデの悔い改めを良しとされ、預言者ナタンが「その名をエディデヤ(主に愛される者)と名づけさせた。」(Ⅱサムエル12:25)とあるように、主は彼を愛し、大いに祝福されます。また、 「わが神、主よ。今、あなたは私の父ダビデに代わって、このしもべを王とされました。しかし、私は小さい子どもで、出入りするすべを知りません。そのうえ、しもべは、あなたの選んだあなたの民の中におります。しかも、彼らはあまりにも多くて、数えることも調べることもできないほど、おびただしい民です。善悪を判断してあなたの民をさばくために聞き分ける心をしもべに与えてください。さもなければ、だれに、このおびただしいあなたの民をさばくことができるでしょうか。」(Ⅰ列3:7-9)と主の御心に叶う祈りを捧げたことによって、神は彼に「あなたがこのことを求め、自分のために長寿を求めず、自分のために富を求めず、あなたの敵のいのちをも求めず、むしろ、自分のために正しい訴えを聞き分ける判断力を求めたので、今、わたしはあなたの言ったとおりにする。見よ。わたしはあなたに知恵の心と判断する心とを与える。あなたの先に、あなたのような者はなかった。また、あなたのあとに、あなたのような者も起こらない。そのうえ、あなたの願わなかったもの、富と誉れとをあなたに与える。あなたの生きているかぎり、王たちの中であなたに並ぶ者はひとりもないであろう。」(Ⅰ列3:11-13)と語られました。
しかし、ソロモンはその治世の後半、主から離れてしまいました。すべてを与えて下さった主に対する畏敬と崇拝がありませんでした。それどころか、忌むべき異教の神々を受け入れ、従い、主の目の前に悪を行ってしまいました。結果、国家は分断され、王国はやがて崩壊へと進んでいくことになります。なぜ、こうなってしまったのでしょうか。キーワードは「主の前に」「主の目の前に」と言う言葉です。これが列王記をひも解くキーワードです。すべてを手に入れた彼はいつのまにか、主の前にあって、謙遜な心と、心からの礼拝を失ってしまいました。日々の中で主を意識することがなくなると、人はその欲望に従い目に見える満足を求めます。ソロモンはこの世のすべての満足を求め、また体験しましたが、その心は空虚でした。彼の心を埋めることはできませんでした。しかし、そんな中にあっても、彼はダビデのように悔い改め、主を求めることはしませんでした。若き頃のように、謙遜な心で主に祈ることを選びませんでした。「主の前にいること」「主の目に叶う事」を彼はいつの間にか忘れてしまったのです。
聖書は語ります。「兄弟たち。おのおの召されたときのままの状態で、神の御前にいなさい。」(Ⅰコリント7:24)
1 ソロモン王は、パロの娘のほかに多くの外国の女、すなわちモアブ人の女、アモン人の女、エドム人の女、シドン人の女、ヘテ人の女を愛した。
2 この女たちは、主がかつてイスラエル人に、「あなたがたは彼らの中にはいって行ってはならない。彼らをもあなたがたの中に入れてはならない。さもないと、彼らは必ずあなたがたの心を転じて彼らの神々に従わせる。」と言われたその国々の者であった。それなのに、ソロモンは彼女たちを愛して、離れなかった。
3 彼には七百人の王妃としての妻と、三百人のそばめがあった。その妻たちが彼の心を転じた。
4 ソロモンが年をとったとき、その妻たちが彼の心をほかの神々のほうへ向けたので、彼の心は、父ダビデの心とは違って、彼の神、主と全く一つにはなっていなかった。
5 ソロモンはシドン人の神アシュタロテと、アモン人のあの忌むべきミルコムに従った。
6 こうしてソロモンは、主の目の前に悪を行ない、父ダビデのようには、主に従い通さなかった。
7 当時、ソロモンは、モアブの、忌むべきケモシュと、アモン人の、忌むべきモレクのために、エルサレムの東にある山の上に高き所を築いた。
8 彼は外国人の自分のすべての妻のためにも、同じようなことをしたので、彼女たちは自分たちの神々に香をたき、いけにえをささげた。
9 主はソロモンに怒りを発せられた。それは彼の心がイスラエルの神、主から移り変わったからである。主は二度も彼に現われ、
10 このことについて、ほかの神々に従って行ってはならないと命じておられたのに、彼は主の命令を守らなかったからである。
11 それゆえ、主はソロモンに仰せられた。「あなたがこのようにふるまい、わたしが命じたわたしの契約とおきてとを守らなかったので、わたしは王国をあなたから必ず引き裂いて、あなたの家来に与える。
12 しかし、あなたの父ダビデに免じて、あなたの存命中は、そうしないが、あなたの子の手からそれを引き裂こう。
13 ただし、王国全部を引き裂くのではなく、わたしのしもべダビデと、わたしが選んだエルサレムのために、一つの部族だけをあなたの子に与えよう。」
ソロモン王はすべてを持っている王でした。地位、名誉、財産、権力、名声、そして知恵に富み、主を畏れ、荘厳な主の神殿を築き上げることができたのもソロモンの治世においてでした。しかし、これらの祝福は彼自身によってもたらされたものではありません。父ダビデの信仰と悔い改め、また、彼自身の主の御心に叶う祈りの結果によってもたらされたということができます。
彼は父ダビデが罪を犯し、その裁きが下った後に誕生した子ではありましたが、主はダビデの悔い改めを良しとされ、預言者ナタンが「その名をエディデヤ(主に愛される者)と名づけさせた。」(Ⅱサムエル12:25)とあるように、主は彼を愛し、大いに祝福されます。また、 「わが神、主よ。今、あなたは私の父ダビデに代わって、このしもべを王とされました。しかし、私は小さい子どもで、出入りするすべを知りません。そのうえ、しもべは、あなたの選んだあなたの民の中におります。しかも、彼らはあまりにも多くて、数えることも調べることもできないほど、おびただしい民です。善悪を判断してあなたの民をさばくために聞き分ける心をしもべに与えてください。さもなければ、だれに、このおびただしいあなたの民をさばくことができるでしょうか。」(Ⅰ列3:7-9)と主の御心に叶う祈りを捧げたことによって、神は彼に「あなたがこのことを求め、自分のために長寿を求めず、自分のために富を求めず、あなたの敵のいのちをも求めず、むしろ、自分のために正しい訴えを聞き分ける判断力を求めたので、今、わたしはあなたの言ったとおりにする。見よ。わたしはあなたに知恵の心と判断する心とを与える。あなたの先に、あなたのような者はなかった。また、あなたのあとに、あなたのような者も起こらない。そのうえ、あなたの願わなかったもの、富と誉れとをあなたに与える。あなたの生きているかぎり、王たちの中であなたに並ぶ者はひとりもないであろう。」(Ⅰ列3:11-13)と語られました。
しかし、ソロモンはその治世の後半、主から離れてしまいました。すべてを与えて下さった主に対する畏敬と崇拝がありませんでした。それどころか、忌むべき異教の神々を受け入れ、従い、主の目の前に悪を行ってしまいました。結果、国家は分断され、王国はやがて崩壊へと進んでいくことになります。なぜ、こうなってしまったのでしょうか。キーワードは「主の前に」「主の目の前に」と言う言葉です。これが列王記をひも解くキーワードです。すべてを手に入れた彼はいつのまにか、主の前にあって、謙遜な心と、心からの礼拝を失ってしまいました。日々の中で主を意識することがなくなると、人はその欲望に従い目に見える満足を求めます。ソロモンはこの世のすべての満足を求め、また体験しましたが、その心は空虚でした。彼の心を埋めることはできませんでした。しかし、そんな中にあっても、彼はダビデのように悔い改め、主を求めることはしませんでした。若き頃のように、謙遜な心で主に祈ることを選びませんでした。「主の前にいること」「主の目に叶う事」を彼はいつの間にか忘れてしまったのです。
聖書は語ります。「兄弟たち。おのおの召されたときのままの状態で、神の御前にいなさい。」(Ⅰコリント7:24)
2013年7月9日火曜日
あなたを取り戻す
ルカ19章10節
「人の子は、失われた人を捜して救うために来たのです。」
イザヤ書
「ヤコブよ。これらのことを覚えよ。イスラエルよ。あなたはわたしのしもべ。わたしが、あなたを造り上げた。あなたは、わたし自身のしもべだ。イスラエルよ。あなたはわたしに忘れられることがない。わたしは、あなたのそむきの罪を雲のように、あなたの罪をかすみのようにぬぐい去った。わたしに帰れ。わたしは、あなたを贖ったからだ。」
この世にあって失ってはいけないものがあります。いのちや財産、あるいは信頼されることも失ってはいけない大切なものです。しかし、もっとも人間が失ってはいけなかったのに、失ってしまったものがあります。それは「神様との交わり」です。このことを失ってしまったがゆえに、人間は罪の世界で苦悩するようになりました。神様から離れた状態では、いかに優れた科学の力や思想や政治システムをもってしても、結局はバベルの塔を建て上げ、得るどころかかえって失うことになるのです。では、私たちはどうすれば良いのでしょうか。感謝なことに、神様は永遠に存在される方であり、私たちに向けられたその愛はこの世の終わりまで決して耐えることはありません。私たちは神様の事を忘れてしまっても、神様は私たちの事を忘れないと聖書は語ります。しかも、忘れたくても忘れられない、消し去りたくても消し去ることができない、罪の記憶をイエス・キリストだけが消し去って下さるのです。十字架の血潮でまったくきれいに拭い去って下さるのです。なぜならばイエス様がこの世に来られた目的は「失われた人を捜して救うため」だからです。主イエス様の元に帰りましょう。帰るのはいつですか。今です。
「人の子は、失われた人を捜して救うために来たのです。」
イザヤ書
「ヤコブよ。これらのことを覚えよ。イスラエルよ。あなたはわたしのしもべ。わたしが、あなたを造り上げた。あなたは、わたし自身のしもべだ。イスラエルよ。あなたはわたしに忘れられることがない。わたしは、あなたのそむきの罪を雲のように、あなたの罪をかすみのようにぬぐい去った。わたしに帰れ。わたしは、あなたを贖ったからだ。」
この世にあって失ってはいけないものがあります。いのちや財産、あるいは信頼されることも失ってはいけない大切なものです。しかし、もっとも人間が失ってはいけなかったのに、失ってしまったものがあります。それは「神様との交わり」です。このことを失ってしまったがゆえに、人間は罪の世界で苦悩するようになりました。神様から離れた状態では、いかに優れた科学の力や思想や政治システムをもってしても、結局はバベルの塔を建て上げ、得るどころかかえって失うことになるのです。では、私たちはどうすれば良いのでしょうか。感謝なことに、神様は永遠に存在される方であり、私たちに向けられたその愛はこの世の終わりまで決して耐えることはありません。私たちは神様の事を忘れてしまっても、神様は私たちの事を忘れないと聖書は語ります。しかも、忘れたくても忘れられない、消し去りたくても消し去ることができない、罪の記憶をイエス・キリストだけが消し去って下さるのです。十字架の血潮でまったくきれいに拭い去って下さるのです。なぜならばイエス様がこの世に来られた目的は「失われた人を捜して救うため」だからです。主イエス様の元に帰りましょう。帰るのはいつですか。今です。
2013年7月1日月曜日
心の転換
Ⅱペテロ3章9節
主は、ある人たちがおそいと思っているように、その約束のことを遅らせておられるのではありません。かえって、あなたがたに対して忍耐深くあられるのであって、ひとりでも滅びることを望まず、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。
イスラエル人たちが最も敬愛し、誇らしく思っている人物の一人がダビデ王です。ダビデはイスラエル第2代目の王(BC1010~970)であり、王国が最も栄えた時でもありました。羊飼いとして育った彼は勇士であり、一流の政治家であり、敵(サウル)をも愛し、多くの詩と賛美を残した文化人でもありました。詩編150篇のうち、実に73篇がダビデに関連した詩です。しかも、イエス様は彼の系譜から降誕なさり、イエス様自身も「わたしはダビデの根、また子孫、輝く明けの明星である。」(黙示録22:16)とご自身の事を表しておられます。
しかし、そんなダビデであっても、完璧な人ではありませんでした。子どもの教育には決して成功したとは言えませんし、晩年には明らかに神様の御心に背いた人口調査を行いました。そして何よりも彼の人生の最大の汚点は、Ⅱサムエル11章~12章に描かれているバテシェバ事件でしょう。部下ウリヤの妻であったバテシェバを手に入れるため、計画的に、しかも自分の手を汚すことなく、ウリヤを殺したのです。しかも最も悪いことは、計画が成功した時点において、ダビデは良心が痛むことがなかったという点です。とても同じ人物がすることとは思えません。しかし、これこそが人間の持つ罪の正体なのです。人間は神のかたちに創られました。神のうちには暗い所がまったくありませんので、私たちの本来の姿は、愛に満ち、寛容で、親切で、誠実な人格が基本的に備わっているはずです。しかし、神から離れてしまった人類には、罪の性質が入ってしまい、誰かを愛しながらも、傷つけ、仕えながらも、裏切り、誠実な心の一方で傲慢で人を見下してしまうという、まことに矛盾した存在になってしまったのです。聖書は皆から尊敬され愛されているダビデのうちにあるこのような罪の性質に蓋をすることなく、むしろ明らかにすることによって、私たちに悔い改めを迫ってくるのです。どこまでも、忍耐強く、どんな人でも決して滅んで欲しくないという神様の無限大の愛をもって、今日も主は私たちに語りかけます。ダビデは罪を指摘されてすぐに悔い改めました(詩51)。今、あなたの心は神様に向かっていますか。どのような告白がありますか。
主は、ある人たちがおそいと思っているように、その約束のことを遅らせておられるのではありません。かえって、あなたがたに対して忍耐深くあられるのであって、ひとりでも滅びることを望まず、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。
イスラエル人たちが最も敬愛し、誇らしく思っている人物の一人がダビデ王です。ダビデはイスラエル第2代目の王(BC1010~970)であり、王国が最も栄えた時でもありました。羊飼いとして育った彼は勇士であり、一流の政治家であり、敵(サウル)をも愛し、多くの詩と賛美を残した文化人でもありました。詩編150篇のうち、実に73篇がダビデに関連した詩です。しかも、イエス様は彼の系譜から降誕なさり、イエス様自身も「わたしはダビデの根、また子孫、輝く明けの明星である。」(黙示録22:16)とご自身の事を表しておられます。
しかし、そんなダビデであっても、完璧な人ではありませんでした。子どもの教育には決して成功したとは言えませんし、晩年には明らかに神様の御心に背いた人口調査を行いました。そして何よりも彼の人生の最大の汚点は、Ⅱサムエル11章~12章に描かれているバテシェバ事件でしょう。部下ウリヤの妻であったバテシェバを手に入れるため、計画的に、しかも自分の手を汚すことなく、ウリヤを殺したのです。しかも最も悪いことは、計画が成功した時点において、ダビデは良心が痛むことがなかったという点です。とても同じ人物がすることとは思えません。しかし、これこそが人間の持つ罪の正体なのです。人間は神のかたちに創られました。神のうちには暗い所がまったくありませんので、私たちの本来の姿は、愛に満ち、寛容で、親切で、誠実な人格が基本的に備わっているはずです。しかし、神から離れてしまった人類には、罪の性質が入ってしまい、誰かを愛しながらも、傷つけ、仕えながらも、裏切り、誠実な心の一方で傲慢で人を見下してしまうという、まことに矛盾した存在になってしまったのです。聖書は皆から尊敬され愛されているダビデのうちにあるこのような罪の性質に蓋をすることなく、むしろ明らかにすることによって、私たちに悔い改めを迫ってくるのです。どこまでも、忍耐強く、どんな人でも決して滅んで欲しくないという神様の無限大の愛をもって、今日も主は私たちに語りかけます。ダビデは罪を指摘されてすぐに悔い改めました(詩51)。今、あなたの心は神様に向かっていますか。どのような告白がありますか。
2013年6月11日火曜日
慰めを与える神の愛
ルツ記1章16~17節
16 ルツは言った。「あなたを捨て、あなたから別れて帰るように、私にしむけないでください。あなたの行かれる所へ私も行き、あなたの住まれる所に私も住みます。あなたの民は私の民、あなたの神は私の神です。
17 あなたの死なれる所で私は死に、そこに葬られたいのです。もし死によっても私があなたから離れるようなことがあったら、主が幾重にも私を罰してくださるように。」
最愛の夫と2人の息子を亡くしたイスラエル人の姑ナオミと夫に先立たれた外国人の嫁ルツ。ナオミは、自分のことをナオミではなく、マラ(苦しみ)と呼んで下さいと言うほど喪失感と悲しみの中にいました。これから先、一体どのように生きて行けばよいのだろうか。どこに希望を見出せばよいのだろうか。そんなナオミに対し、嫁のルツは3つの愛を持ってナオミを励まします。ナオミに対する愛、イスラエル民族に対する愛、そして神に対する愛です。しかし、ルツ自身は決して喜ばしい状況にいたわけではありません。ルツも一人の女性として将来に様々な夢を描いていたことでしょう。幸せな家庭生活を期待して結婚したはずです。しかし、現実は夫に先立たれ、外国の地で、姑と2人が残されただけ。ナオミと同様にルツも苦しかったはずです。しかし、注目すべきはルツは外国人(多神教のモアブ人)でありながら、「あなたの神は私の神です。」と信仰告白をしている点です。ナオミから天地万物を創造された唯一の神についての話を聞いていたのでしょうか。礼拝している姿を通して感動を受けたのでしょうか。詳細は分かりませんが、ルツ自身がその結婚生活の中で、創造主である神に出会い、大いなる愛に触れたことは間違いないでしょう。その神様から受けた愛を持って、悲しみの中にいる、最も近い隣人と民族を愛するのです。神の愛はすべての障害を乗り越え、平和と慰めをもたらすのです。
16 ルツは言った。「あなたを捨て、あなたから別れて帰るように、私にしむけないでください。あなたの行かれる所へ私も行き、あなたの住まれる所に私も住みます。あなたの民は私の民、あなたの神は私の神です。
17 あなたの死なれる所で私は死に、そこに葬られたいのです。もし死によっても私があなたから離れるようなことがあったら、主が幾重にも私を罰してくださるように。」
最愛の夫と2人の息子を亡くしたイスラエル人の姑ナオミと夫に先立たれた外国人の嫁ルツ。ナオミは、自分のことをナオミではなく、マラ(苦しみ)と呼んで下さいと言うほど喪失感と悲しみの中にいました。これから先、一体どのように生きて行けばよいのだろうか。どこに希望を見出せばよいのだろうか。そんなナオミに対し、嫁のルツは3つの愛を持ってナオミを励まします。ナオミに対する愛、イスラエル民族に対する愛、そして神に対する愛です。しかし、ルツ自身は決して喜ばしい状況にいたわけではありません。ルツも一人の女性として将来に様々な夢を描いていたことでしょう。幸せな家庭生活を期待して結婚したはずです。しかし、現実は夫に先立たれ、外国の地で、姑と2人が残されただけ。ナオミと同様にルツも苦しかったはずです。しかし、注目すべきはルツは外国人(多神教のモアブ人)でありながら、「あなたの神は私の神です。」と信仰告白をしている点です。ナオミから天地万物を創造された唯一の神についての話を聞いていたのでしょうか。礼拝している姿を通して感動を受けたのでしょうか。詳細は分かりませんが、ルツ自身がその結婚生活の中で、創造主である神に出会い、大いなる愛に触れたことは間違いないでしょう。その神様から受けた愛を持って、悲しみの中にいる、最も近い隣人と民族を愛するのです。神の愛はすべての障害を乗り越え、平和と慰めをもたらすのです。
2013年4月22日月曜日
春の特別集会&キッズクラブ
さいたま市北区のキリスト教会
キリスト兄弟団大宮教会
2013年春の特別集会ご案内です。
講師は、榊原寛先生(東京シャロームチャペル牧師、ワールド・ビジョン・ジャパン理事長)です。
また同日、午後からはキッズクラブも行われます。
どうぞ、ご家族、ご友人をお誘いの上、集会にお越しください。
お待ちしています。
キリスト兄弟団大宮教会
2013年春の特別集会ご案内です。
講師は、榊原寛先生(東京シャロームチャペル牧師、ワールド・ビジョン・ジャパン理事長)です。
また同日、午後からはキッズクラブも行われます。
どうぞ、ご家族、ご友人をお誘いの上、集会にお越しください。
お待ちしています。
福音のためなら
Ⅰコリント9章19~23節
19 私はだれに対しても自由ですが、より多くの人を獲得するために、すべての人の奴隷となりました。
20 ユダヤ人にはユダヤ人のようになりました。それはユダヤ人を獲得するためです。律法の下にある人々には、私自身は律法の下にはいませんが、律法の下にある者のようになりました。それは律法の下にある人々を獲得するためです。
21 律法を持たない人々に対しては、――私は神の律法の外にある者ではなく、キリストの律法を守る者ですが、――律法を持たない者のようになりました。それは律法を持たない人々を獲得するためです。
22 弱い人々には、弱い者になりました。弱い人々を獲得するためです。すべての人に、すべてのものとなりました。それは、何とかして、幾人かでも救うためです。
23 私はすべてのことを、福音のためにしています。それは、私も福音の恵みをともに受ける者となるためなのです。
パウロは、イエス・キリストによる救いを得てから、その人生を全て「福音宣教」のために捧げたといっても良いでしょう。パウロは、もし福音を伝えることができないのなら、それは禍であると語っています。聖書を見ればよく分かるように、パウロほど福音宣教において、神様に用いられた人物はいなかったでしょう。彼の心にはいつも救霊の情熱がありました。「何とかして一人でも多くの人を救いに導きたい」「例え幾人かであっても、救いに導きたい」
そんな彼の福音宣教の方法には、大きく二つの側面があります。一つは、すべての人に対して福音を適用したということです。当時の一般的なユダヤ人の考えは、「救いはユダヤ人のみ」というものでした。ユダヤ人こそが、神によって選ばれた契約の民であり、救いを受けるにふさわしい民なのであって、それ以外の異邦人が、救われるなどと言うのは、まったくもって有りえないことであるということでした。しかし、彼は「異邦人の使徒」として、すべての民族に対し、この福音のメッセージを大胆に語り、救いへと導きました。二つ目は、すべての人の奴隷となった。即ち、すべての人に「仕えた」ということです。決して、上から目線で、福音を語ることはしませんでした。同国人であるユダヤ人には当然ですが、律法を持たない異邦人にも、また社会的にも、霊的にも弱い人々にも、彼は寄り添い、同じ目線で福音を語りました。私たち信仰者は、信仰生活が長くなると時として、自分を何か特別な存在に思ってしまう傾向があります。そして、この世が仕えるべき場ではなく、離れるべき対象になってしまうのです。そして、自分たちだけの居心地の良い「教会」を作り上げるのです。教会で話し合われることは、「交わり」中心になり、ますます教会が隔絶されたものになり、この世に対して何の影響力ももたらさなくなるのです。私たちは、例えどんな人であろうが、救いから離れた生活をしている人であろうが、「すべての人」に対し福音を伝え、また仕えるのです。福音の恵みを自分一人の占有物にしてはいけません。教会の中でのみ分かち合い、喜ぶものではありません。すべての隣人と共に福音の恵みを受け、味わうことを主は願っておられるのです。
2013年3月25日月曜日
神の愛に応えて
申命記6章4~6節
4 聞きなさい。イスラエル。主は私たちの神。主はただひとりである。
5 心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。
6 私がきょう、あなたに命じるこれらのことばを、あなたの心に刻みなさい。
同7章6~11節
6 あなたは、あなたの神、主の聖なる民だからである。あなたの神、主は、地の面のすべての国々の民のうちから、あなたを選んでご自分の宝の民とされた。
7 主があなたがたを恋い慕って、あなたがたを選ばれたのは、あなたがたがどの民よりも数が多かったからではない。事実、あなたがたは、すべての国々の民のうちで最も数が少なかった。
8 しかし、主があなたがたを愛されたから、また、あなたがたの先祖たちに誓われた誓いを守られたから、主は、力強い御手をもってあなたがたを連れ出し、奴隷の家から、エジプトの王パロの手からあなたを贖い出された。
9 あなたは知っているのだ。あなたの神、主だけが神であり、誠実な神である。主を愛し、主の命令を守る者には恵みの契約を千代までも守られるが、
10 主を憎む者には、これに報いて、主はたちどころに彼らを滅ぼされる。主を憎む者には猶予はされない。たちどころに報いられる。
11 私が、きょう、あなたに命じる命令――おきてと定め――を守り行なわなければならない。
出エジプトを果たしたイスラエルの民でしたが、約束の地カナン入国を前に、彼らは過渡的な状況にあったと言うことができます。それは①第一世代から、第二世代への世代交代、②荒野における遊牧生活から、カナンでの定住・農耕生活への転換といったことです。特に、これから入ろうとするカナンは豊穣の神バアルや穀物の神ダゴンなどといった異教の神々の霊的影響下にある土地でもありました。バアル礼拝においては宗教的売春が行われ、さらに人間をいけにえにささげる風習もありました。このような霊的環境において、新しい世代の人々が唯一の神との正しい関係を守っていくためには、すでに与えられた律法を改めて語り、教える必要がありました。それを、あたかも説教を語るようにして示したのが本書(申命記)です。神はモーセを通して、「聞きなさい(シェマー)イスラエル」「主は私たちの神。主はただひとりである。心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。」と語ります。これは、ただ単に神に対して無条件に服従しなさい、従順しなさいという意味ではありません。彼らが神を愛する理由は、まず神が彼らを愛され、選ばれたからこそだということです。 「あなたは、あなたの神、主の聖なる民だからである。あなたの神、主は、地の面のすべての国々の民のうちから、あなたを選んでご自分の宝の民とされた。主があなたがたを恋い慕って、あなたがたを選ばれたのは、あなたがたがどの民よりも数が多かったからではない。事実、あなたがたは、すべての国々の民のうちで最も数が少なかった。しかし、主があなたがたを愛されたから、また、あなたがたの先祖たちに誓われた誓いを守られたから、主は、力強い御手をもってあなたがたを連れ出し、奴隷の家から、エジプトの王パロの手からあなたを贖い出された。」イスラエルの民は決して模範的な民族とは言えませんでした。せっかくの出エジプトを果たした後も、神に逆らい、不平や不満は消えることはありませんでした。しかし、神は永遠なる愛、契約の愛をもって、彼らを愛されたのです。その愛なる神ご自身の御言葉を刻み付けなさいというのです。他の神々に心を寄せてはならない。惑わされてはならない。あなたを真に愛しておられる神、主の命令を守って、その道に歩み、主を恐れなさい。これこそが自らを守る道なのだと主は語られます。
4 聞きなさい。イスラエル。主は私たちの神。主はただひとりである。
5 心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。
6 私がきょう、あなたに命じるこれらのことばを、あなたの心に刻みなさい。
同7章6~11節
6 あなたは、あなたの神、主の聖なる民だからである。あなたの神、主は、地の面のすべての国々の民のうちから、あなたを選んでご自分の宝の民とされた。
7 主があなたがたを恋い慕って、あなたがたを選ばれたのは、あなたがたがどの民よりも数が多かったからではない。事実、あなたがたは、すべての国々の民のうちで最も数が少なかった。
8 しかし、主があなたがたを愛されたから、また、あなたがたの先祖たちに誓われた誓いを守られたから、主は、力強い御手をもってあなたがたを連れ出し、奴隷の家から、エジプトの王パロの手からあなたを贖い出された。
9 あなたは知っているのだ。あなたの神、主だけが神であり、誠実な神である。主を愛し、主の命令を守る者には恵みの契約を千代までも守られるが、
10 主を憎む者には、これに報いて、主はたちどころに彼らを滅ぼされる。主を憎む者には猶予はされない。たちどころに報いられる。
11 私が、きょう、あなたに命じる命令――おきてと定め――を守り行なわなければならない。
出エジプトを果たしたイスラエルの民でしたが、約束の地カナン入国を前に、彼らは過渡的な状況にあったと言うことができます。それは①第一世代から、第二世代への世代交代、②荒野における遊牧生活から、カナンでの定住・農耕生活への転換といったことです。特に、これから入ろうとするカナンは豊穣の神バアルや穀物の神ダゴンなどといった異教の神々の霊的影響下にある土地でもありました。バアル礼拝においては宗教的売春が行われ、さらに人間をいけにえにささげる風習もありました。このような霊的環境において、新しい世代の人々が唯一の神との正しい関係を守っていくためには、すでに与えられた律法を改めて語り、教える必要がありました。それを、あたかも説教を語るようにして示したのが本書(申命記)です。神はモーセを通して、「聞きなさい(シェマー)イスラエル」「主は私たちの神。主はただひとりである。心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。」と語ります。これは、ただ単に神に対して無条件に服従しなさい、従順しなさいという意味ではありません。彼らが神を愛する理由は、まず神が彼らを愛され、選ばれたからこそだということです。 「あなたは、あなたの神、主の聖なる民だからである。あなたの神、主は、地の面のすべての国々の民のうちから、あなたを選んでご自分の宝の民とされた。主があなたがたを恋い慕って、あなたがたを選ばれたのは、あなたがたがどの民よりも数が多かったからではない。事実、あなたがたは、すべての国々の民のうちで最も数が少なかった。しかし、主があなたがたを愛されたから、また、あなたがたの先祖たちに誓われた誓いを守られたから、主は、力強い御手をもってあなたがたを連れ出し、奴隷の家から、エジプトの王パロの手からあなたを贖い出された。」イスラエルの民は決して模範的な民族とは言えませんでした。せっかくの出エジプトを果たした後も、神に逆らい、不平や不満は消えることはありませんでした。しかし、神は永遠なる愛、契約の愛をもって、彼らを愛されたのです。その愛なる神ご自身の御言葉を刻み付けなさいというのです。他の神々に心を寄せてはならない。惑わされてはならない。あなたを真に愛しておられる神、主の命令を守って、その道に歩み、主を恐れなさい。これこそが自らを守る道なのだと主は語られます。
2013年3月23日土曜日
2013年3月12日火曜日
ただひたむきに
民数記14章27~38節
27 「いつまでこの悪い会衆は、わたしにつぶやいているのか。わたしはイスラエル人が、わたしにつぶやいているつぶやきを、もう聞いている。
28 あなたは彼らに言え。これは主の御告げである。わたしは生きている。わたしは必ずあなたがたに、わたしの耳に告げたそのとおりをしよう。
29 この荒野であなたがたは死体となって倒れる。わたしにつぶやいた者で、二十歳以上の登録され数えられた者たちはみな倒れて死ぬ。
30 ただエフネの子カレブと、ヌンの子ヨシュアのほかは、あなたがたを住まわせるとわたしが誓った地に、だれも決してはいることはできない。
31 さらわれてしまうと、あなたがたが言ったあなたがたの子どもたちを、わたしは導き入れよう。彼らはあなたがたが拒んだ地を知るようになる。
32 しかし、あなたがたは死体となってこの荒野に倒れなければならない。
33 あなたがたの子どもたちは、この荒野で四十年の間羊を飼う者となり、あなたがたが死体となってこの荒野で倒れてしまうまで、あなたがたの背信の罪を負わなければならない。
34 あなたがたが、かの地を探った日数は四十日であった。その一日を一年と数えて、四十年の間あなたがたは自分の咎を負わなければならない。こうしてわたしへの反抗が何かを思い知ろう。
35 主であるわたしが言う。一つになってわたしに逆らったこの悪い会衆のすべてに対して、わたしは必ず次のことを行なう。この荒野で彼らはひとり残らず死ななければならない。
36 モーセがかの地を探らせるために遣わした者で、帰って来て、その地について悪く言いふらし、全会衆をモーセにつぶやかせた者たちも。」
37 こうして、その地をひどく悪く言いふらした者たちは、主の前に、疫病で死んだ。
38 しかし、かの地を探りに行った者のうち、ヌンの子ヨシュアと、エフネの子カレブは生き残った。
ピリピ3章12~14節
12 私は、すでに得たのでもなく、すでに完全にされているのでもありません。ただ捕えようとして、追求しているのです。そして、それを得るようにとキリスト・イエスが私を捕えてくださったのです。
13 兄弟たちよ。私は、自分はすでに捕えたなどと考えてはいません。ただ、この一事に励んでいます。すなわち、うしろのものを忘れ、ひたむきに前のものに向かって進み、
14 キリスト・イエスにおいて上に召してくださる神の栄冠を得るために、目標を目ざして一心に走っているのです。
せっかく信仰をもったのに(賜物として与えられたのに)、離れてしまう人が沢山います。なぜでしょうか。救いの確信がなかったのでしょうか。信仰が足りなかったのでしょうか。意志が弱かったのでしょうか。家族の反対があったのでしょうか。それとも教会に問題があったのでしょうか。指導者がいい加減だったのでしょうか。
イスラエルの民はどうだったでしょう。明確な救いの体験(出エジプト)があり、よき指導者(モーセ)がおり、生活の規範となる御言葉(律法)も与えられ、日々の食物(マナ)もあり、何より礼拝(いけにえ)を通して神様の愛と赦しと偉大さに触れることができました。しかし、彼らの中から「不平」「不満」「つぶやき」などが消えることはありませんでした。食物に対し、水に対し、指導者に対し、約束の地に対し、荒野での生活に対し、そして神に対し彼らはつぶやき、不平を述べました。結果として、第1回人口調査(民1章)で登録された人々は、38年後に行われた第2回人口調査において誰一人(エフネの子カレブとヌンの子ヨシュアを除いて)約束の地に入ることはできませんでした(民26:64)。これは一体なにが原因だったのでしょうか。環境のせいでしょうか。それほどまでに彼らの生活環境は悲惨なものだったのでしょうか。そうではありません。これは「自己中心」の問題なのです。自己中心は本当に恐ろしい罪です。自分中心が深刻なれば、自分の居場所を天国から地獄にすら変えることができてしまうのです。環境が変われば感謝できる。環境が変われば幸せになれると言いますがそうではありません。大切なのは聖霊によって変わることのないお方をいつも身に着けることです。「ただこの一事に、うしろのものを忘れ、ひたむきに前のものに向かって進み、キリスト・イエスにおいて上に召してくださる神の栄冠を得るために、目標を目ざして一心に走る」ことです。今の歩みが未来を決定するのです。「私は勇敢に戦い、走るべき道のりを走り終え、信仰を守り通しました。今からは、義の栄冠が私のために用意されているだけです。」(Ⅱテモテ4:7-8)とパウロの告白が私たち一人一人の告白となりますようにイエス様のみ名で願います。
登録:
投稿 (Atom)






