2012年4月25日水曜日

幸せな親子関係

エペソ人への手紙6章1~4節
 1 子どもたちよ。主にあって両親に従いなさい。これは正しいことだからです。
 2 「あなたの父と母を敬え。」これは第一の戒めであり、約束を伴ったものです。すなわち、
 3 「そうしたら、あなたはしあわせになり、地上で長生きする。」という約束です。
 4 父たちよ。あなたがたも、子どもをおこらせてはいけません。かえって、主の教育と訓戒によって育てなさい。

出エジプト記20章にモーセの十戒が記されていますが、その構成は、第一戒から第四戒までは神と人との関係について、第五戒から第十戒までが人間関係についての戒律となっています。本日の説教箇所でもあるエペソの手紙6章2~3節に引用されている御言葉は、その内の第五戒、すなわち人間関係における第一番目の戒めです。子どもにとって尊敬すべき、従うべき対象はまず誰よりも両親です。コロサイ書3章20節でも「子どもたちよ。すべてのことについて、両親に従いなさい。それは主に喜ばれることだからです。」と記されています。また主イエス様も、「・・・ナザレに帰って、両親に仕えられた。」(ルカ2章51節)とあるように、イエス様も両親を心から愛し、仕え、従いました。このように両親を敬い、従うことは、幸せなことであり、祝福なのです。
しかし、一方で親も子を育て、教育することが求められます。親は子を愛し、受け止め、そして人生の良き模範とならなければいけません。特に大切なのが父親の役割です。「父たちよ。あなたがたも、子どもをおこらせてはいけません。かえって、主の教育と訓戒によって育てなさい。」(4節)母ではなく、父です。新共同訳では「父親たち、子供を怒らせてはなりません。主がしつけ諭されるように、育てなさい。」とあります。単に父の権威を振りかざして、厳しくしつけるのではなく、主イエス様がされたように、子を養い、教育し、諭しなさいというのです。その根底には深い愛情が必要です。子のためにいのちを捨てる覚悟が必要です。例え子どもが失敗しても、上手くいかなくても、親の理想とはかけ離れていても、主イエス様の愛情を持って、忍耐を持って、教え、訓戒することが大切です。このような親の深い愛によって育たれてた子は、親を通し、特に父親を通し、父なる神の愛を知るのです。子の信仰生活に多大なる良い影響を与えるのです。父なる神に対する健全な信仰を子が持つなら、「権威」というものを正しく理解します。自然と従いの心を持つようになります。あなたの親子関係はいかがですか。
親を責める前に、子を責める前に、まず自分はどうでしょうか。

2012年4月20日金曜日

幸せな夫婦と教会

エペソ5章21節~33節

 21 キリストを恐れ尊んで、互いに従いなさい。
 22 妻たちよ。あなたがたは、主に従うように、自分の夫に従いなさい。
 23 なぜなら、キリストは教会のかしらであって、ご自身がそのからだの救い主であられるように、夫は妻のかしらであるからです。
 24 教会がキリストに従うように、妻も、すべてのことにおいて、夫に従うべきです。
 25 夫たちよ。キリストが教会を愛し、教会のためにご自身をささげられたように、あなたがたも、自分の妻を愛しなさい。
 26 キリストがそうされたのは、みことばにより、水の洗いをもって、教会をきよめて聖なるものとするためであり、
 27 ご自身で、しみや、しわや、そのようなものの何一つない、聖く傷のないものとなった栄光の教会を、ご自分の前に立たせるためです。
 28 そのように、夫も自分の妻を自分のからだのように愛さなければなりません。自分の妻を愛する者は自分を愛しているのです。
 29 だれも自分の身を憎んだ者はいません。かえって、これを養い育てます。それはキリストが教会をそうされたのと同じです。
 30 私たちはキリストのからだの部分だからです。
 31 「それゆえ、人はその父と母を離れ、妻と結ばれ、ふたりは一心同体となる。」
 32 この奥義は偉大です。私は、キリストと教会とをさして言っているのです。
 33 それはそうとして、あなたがたも、おのおの自分の妻を自分と同様に愛しなさい。妻もまた自分の夫を敬いなさい。

夫婦関係はこの世で最も基本的で、小さな人間関係の場ですが、しかし、人生において最も親密で大切な関係です。夫婦関係がこじれると、親子関係は勿論、様々な社会生活にも悪影響がでます。結婚生活は同棲などでは決してありません。単に愛し合う男女が一緒に同じ家に住むことなどと安易に考えてはいけません。そもそも結婚は、人間の愛から始まったものではありません。人間を創造された神様から出発しているのです。創世記2章で、最初の人類アダムを創造された後に、神様は「「人が、ひとりでいるのは良くない。わたしは彼のために、彼にふさわしい助け手を造ろう。」と考え、女の人を作られました。結婚は人の考えではなく、何よりも神様が人間への祝福のために決められたことです。単に好きだから、いっしょになりたいから、結婚するのではないのです。ですから、当然夫婦の関係も、神様を中心として捉えなければなりません。神であるイエス様が愛されたように、夫はたとえ自分が犠牲になることがあっても、一生の間、専ら妻を愛するのです。いのちを捨ててまでも妻を愛し守り支えるのです。それに対し、妻もまたかしらである夫に心からの従順と尊敬を持って仕え、従うのです。この神が定められた創造の秩序に従い、夫婦生活を成す時に、ふたりは真の意味で「一心同体」となるのです。麗しく、美しい一致が生みだされるのです。すべてはキリストが中心です。