Ⅱペテロ3章9節
主は、ある人たちがおそいと思っているように、その約束のことを遅らせておられるのではありません。かえって、あなたがたに対して忍耐深くあられるのであって、ひとりでも滅びることを望まず、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。
イスラエル人たちが最も敬愛し、誇らしく思っている人物の一人がダビデ王です。ダビデはイスラエル第2代目の王(BC1010~970)であり、王国が最も栄えた時でもありました。羊飼いとして育った彼は勇士であり、一流の政治家であり、敵(サウル)をも愛し、多くの詩と賛美を残した文化人でもありました。詩編150篇のうち、実に73篇がダビデに関連した詩です。しかも、イエス様は彼の系譜から降誕なさり、イエス様自身も「わたしはダビデの根、また子孫、輝く明けの明星である。」(黙示録22:16)とご自身の事を表しておられます。
しかし、そんなダビデであっても、完璧な人ではありませんでした。子どもの教育には決して成功したとは言えませんし、晩年には明らかに神様の御心に背いた人口調査を行いました。そして何よりも彼の人生の最大の汚点は、Ⅱサムエル11章~12章に描かれているバテシェバ事件でしょう。部下ウリヤの妻であったバテシェバを手に入れるため、計画的に、しかも自分の手を汚すことなく、ウリヤを殺したのです。しかも最も悪いことは、計画が成功した時点において、ダビデは良心が痛むことがなかったという点です。とても同じ人物がすることとは思えません。しかし、これこそが人間の持つ罪の正体なのです。人間は神のかたちに創られました。神のうちには暗い所がまったくありませんので、私たちの本来の姿は、愛に満ち、寛容で、親切で、誠実な人格が基本的に備わっているはずです。しかし、神から離れてしまった人類には、罪の性質が入ってしまい、誰かを愛しながらも、傷つけ、仕えながらも、裏切り、誠実な心の一方で傲慢で人を見下してしまうという、まことに矛盾した存在になってしまったのです。聖書は皆から尊敬され愛されているダビデのうちにあるこのような罪の性質に蓋をすることなく、むしろ明らかにすることによって、私たちに悔い改めを迫ってくるのです。どこまでも、忍耐強く、どんな人でも決して滅んで欲しくないという神様の無限大の愛をもって、今日も主は私たちに語りかけます。ダビデは罪を指摘されてすぐに悔い改めました(詩51)。今、あなたの心は神様に向かっていますか。どのような告白がありますか。
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