Ⅰ列王記11章1~13節
1 ソロモン王は、パロの娘のほかに多くの外国の女、すなわちモアブ人の女、アモン人の女、エドム人の女、シドン人の女、ヘテ人の女を愛した。
2 この女たちは、主がかつてイスラエル人に、「あなたがたは彼らの中にはいって行ってはならない。彼らをもあなたがたの中に入れてはならない。さもないと、彼らは必ずあなたがたの心を転じて彼らの神々に従わせる。」と言われたその国々の者であった。それなのに、ソロモンは彼女たちを愛して、離れなかった。
3 彼には七百人の王妃としての妻と、三百人のそばめがあった。その妻たちが彼の心を転じた。
4 ソロモンが年をとったとき、その妻たちが彼の心をほかの神々のほうへ向けたので、彼の心は、父ダビデの心とは違って、彼の神、主と全く一つにはなっていなかった。
5 ソロモンはシドン人の神アシュタロテと、アモン人のあの忌むべきミルコムに従った。
6 こうしてソロモンは、主の目の前に悪を行ない、父ダビデのようには、主に従い通さなかった。
7 当時、ソロモンは、モアブの、忌むべきケモシュと、アモン人の、忌むべきモレクのために、エルサレムの東にある山の上に高き所を築いた。
8 彼は外国人の自分のすべての妻のためにも、同じようなことをしたので、彼女たちは自分たちの神々に香をたき、いけにえをささげた。
9 主はソロモンに怒りを発せられた。それは彼の心がイスラエルの神、主から移り変わったからである。主は二度も彼に現われ、
10 このことについて、ほかの神々に従って行ってはならないと命じておられたのに、彼は主の命令を守らなかったからである。
11 それゆえ、主はソロモンに仰せられた。「あなたがこのようにふるまい、わたしが命じたわたしの契約とおきてとを守らなかったので、わたしは王国をあなたから必ず引き裂いて、あなたの家来に与える。
12 しかし、あなたの父ダビデに免じて、あなたの存命中は、そうしないが、あなたの子の手からそれを引き裂こう。
13 ただし、王国全部を引き裂くのではなく、わたしのしもべダビデと、わたしが選んだエルサレムのために、一つの部族だけをあなたの子に与えよう。」
ソロモン王はすべてを持っている王でした。地位、名誉、財産、権力、名声、そして知恵に富み、主を畏れ、荘厳な主の神殿を築き上げることができたのもソロモンの治世においてでした。しかし、これらの祝福は彼自身によってもたらされたものではありません。父ダビデの信仰と悔い改め、また、彼自身の主の御心に叶う祈りの結果によってもたらされたということができます。
彼は父ダビデが罪を犯し、その裁きが下った後に誕生した子ではありましたが、主はダビデの悔い改めを良しとされ、預言者ナタンが「その名をエディデヤ(主に愛される者)と名づけさせた。」(Ⅱサムエル12:25)とあるように、主は彼を愛し、大いに祝福されます。また、 「わが神、主よ。今、あなたは私の父ダビデに代わって、このしもべを王とされました。しかし、私は小さい子どもで、出入りするすべを知りません。そのうえ、しもべは、あなたの選んだあなたの民の中におります。しかも、彼らはあまりにも多くて、数えることも調べることもできないほど、おびただしい民です。善悪を判断してあなたの民をさばくために聞き分ける心をしもべに与えてください。さもなければ、だれに、このおびただしいあなたの民をさばくことができるでしょうか。」(Ⅰ列3:7-9)と主の御心に叶う祈りを捧げたことによって、神は彼に「あなたがこのことを求め、自分のために長寿を求めず、自分のために富を求めず、あなたの敵のいのちをも求めず、むしろ、自分のために正しい訴えを聞き分ける判断力を求めたので、今、わたしはあなたの言ったとおりにする。見よ。わたしはあなたに知恵の心と判断する心とを与える。あなたの先に、あなたのような者はなかった。また、あなたのあとに、あなたのような者も起こらない。そのうえ、あなたの願わなかったもの、富と誉れとをあなたに与える。あなたの生きているかぎり、王たちの中であなたに並ぶ者はひとりもないであろう。」(Ⅰ列3:11-13)と語られました。
しかし、ソロモンはその治世の後半、主から離れてしまいました。すべてを与えて下さった主に対する畏敬と崇拝がありませんでした。それどころか、忌むべき異教の神々を受け入れ、従い、主の目の前に悪を行ってしまいました。結果、国家は分断され、王国はやがて崩壊へと進んでいくことになります。なぜ、こうなってしまったのでしょうか。キーワードは「主の前に」「主の目の前に」と言う言葉です。これが列王記をひも解くキーワードです。すべてを手に入れた彼はいつのまにか、主の前にあって、謙遜な心と、心からの礼拝を失ってしまいました。日々の中で主を意識することがなくなると、人はその欲望に従い目に見える満足を求めます。ソロモンはこの世のすべての満足を求め、また体験しましたが、その心は空虚でした。彼の心を埋めることはできませんでした。しかし、そんな中にあっても、彼はダビデのように悔い改め、主を求めることはしませんでした。若き頃のように、謙遜な心で主に祈ることを選びませんでした。「主の前にいること」「主の目に叶う事」を彼はいつの間にか忘れてしまったのです。
聖書は語ります。「兄弟たち。おのおの召されたときのままの状態で、神の御前にいなさい。」(Ⅰコリント7:24)
2013年7月18日木曜日
2013年7月9日火曜日
あなたを取り戻す
ルカ19章10節
「人の子は、失われた人を捜して救うために来たのです。」
イザヤ書
「ヤコブよ。これらのことを覚えよ。イスラエルよ。あなたはわたしのしもべ。わたしが、あなたを造り上げた。あなたは、わたし自身のしもべだ。イスラエルよ。あなたはわたしに忘れられることがない。わたしは、あなたのそむきの罪を雲のように、あなたの罪をかすみのようにぬぐい去った。わたしに帰れ。わたしは、あなたを贖ったからだ。」
この世にあって失ってはいけないものがあります。いのちや財産、あるいは信頼されることも失ってはいけない大切なものです。しかし、もっとも人間が失ってはいけなかったのに、失ってしまったものがあります。それは「神様との交わり」です。このことを失ってしまったがゆえに、人間は罪の世界で苦悩するようになりました。神様から離れた状態では、いかに優れた科学の力や思想や政治システムをもってしても、結局はバベルの塔を建て上げ、得るどころかかえって失うことになるのです。では、私たちはどうすれば良いのでしょうか。感謝なことに、神様は永遠に存在される方であり、私たちに向けられたその愛はこの世の終わりまで決して耐えることはありません。私たちは神様の事を忘れてしまっても、神様は私たちの事を忘れないと聖書は語ります。しかも、忘れたくても忘れられない、消し去りたくても消し去ることができない、罪の記憶をイエス・キリストだけが消し去って下さるのです。十字架の血潮でまったくきれいに拭い去って下さるのです。なぜならばイエス様がこの世に来られた目的は「失われた人を捜して救うため」だからです。主イエス様の元に帰りましょう。帰るのはいつですか。今です。
「人の子は、失われた人を捜して救うために来たのです。」
イザヤ書
「ヤコブよ。これらのことを覚えよ。イスラエルよ。あなたはわたしのしもべ。わたしが、あなたを造り上げた。あなたは、わたし自身のしもべだ。イスラエルよ。あなたはわたしに忘れられることがない。わたしは、あなたのそむきの罪を雲のように、あなたの罪をかすみのようにぬぐい去った。わたしに帰れ。わたしは、あなたを贖ったからだ。」
この世にあって失ってはいけないものがあります。いのちや財産、あるいは信頼されることも失ってはいけない大切なものです。しかし、もっとも人間が失ってはいけなかったのに、失ってしまったものがあります。それは「神様との交わり」です。このことを失ってしまったがゆえに、人間は罪の世界で苦悩するようになりました。神様から離れた状態では、いかに優れた科学の力や思想や政治システムをもってしても、結局はバベルの塔を建て上げ、得るどころかかえって失うことになるのです。では、私たちはどうすれば良いのでしょうか。感謝なことに、神様は永遠に存在される方であり、私たちに向けられたその愛はこの世の終わりまで決して耐えることはありません。私たちは神様の事を忘れてしまっても、神様は私たちの事を忘れないと聖書は語ります。しかも、忘れたくても忘れられない、消し去りたくても消し去ることができない、罪の記憶をイエス・キリストだけが消し去って下さるのです。十字架の血潮でまったくきれいに拭い去って下さるのです。なぜならばイエス様がこの世に来られた目的は「失われた人を捜して救うため」だからです。主イエス様の元に帰りましょう。帰るのはいつですか。今です。
2013年7月1日月曜日
心の転換
Ⅱペテロ3章9節
主は、ある人たちがおそいと思っているように、その約束のことを遅らせておられるのではありません。かえって、あなたがたに対して忍耐深くあられるのであって、ひとりでも滅びることを望まず、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。
イスラエル人たちが最も敬愛し、誇らしく思っている人物の一人がダビデ王です。ダビデはイスラエル第2代目の王(BC1010~970)であり、王国が最も栄えた時でもありました。羊飼いとして育った彼は勇士であり、一流の政治家であり、敵(サウル)をも愛し、多くの詩と賛美を残した文化人でもありました。詩編150篇のうち、実に73篇がダビデに関連した詩です。しかも、イエス様は彼の系譜から降誕なさり、イエス様自身も「わたしはダビデの根、また子孫、輝く明けの明星である。」(黙示録22:16)とご自身の事を表しておられます。
しかし、そんなダビデであっても、完璧な人ではありませんでした。子どもの教育には決して成功したとは言えませんし、晩年には明らかに神様の御心に背いた人口調査を行いました。そして何よりも彼の人生の最大の汚点は、Ⅱサムエル11章~12章に描かれているバテシェバ事件でしょう。部下ウリヤの妻であったバテシェバを手に入れるため、計画的に、しかも自分の手を汚すことなく、ウリヤを殺したのです。しかも最も悪いことは、計画が成功した時点において、ダビデは良心が痛むことがなかったという点です。とても同じ人物がすることとは思えません。しかし、これこそが人間の持つ罪の正体なのです。人間は神のかたちに創られました。神のうちには暗い所がまったくありませんので、私たちの本来の姿は、愛に満ち、寛容で、親切で、誠実な人格が基本的に備わっているはずです。しかし、神から離れてしまった人類には、罪の性質が入ってしまい、誰かを愛しながらも、傷つけ、仕えながらも、裏切り、誠実な心の一方で傲慢で人を見下してしまうという、まことに矛盾した存在になってしまったのです。聖書は皆から尊敬され愛されているダビデのうちにあるこのような罪の性質に蓋をすることなく、むしろ明らかにすることによって、私たちに悔い改めを迫ってくるのです。どこまでも、忍耐強く、どんな人でも決して滅んで欲しくないという神様の無限大の愛をもって、今日も主は私たちに語りかけます。ダビデは罪を指摘されてすぐに悔い改めました(詩51)。今、あなたの心は神様に向かっていますか。どのような告白がありますか。
主は、ある人たちがおそいと思っているように、その約束のことを遅らせておられるのではありません。かえって、あなたがたに対して忍耐深くあられるのであって、ひとりでも滅びることを望まず、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。
イスラエル人たちが最も敬愛し、誇らしく思っている人物の一人がダビデ王です。ダビデはイスラエル第2代目の王(BC1010~970)であり、王国が最も栄えた時でもありました。羊飼いとして育った彼は勇士であり、一流の政治家であり、敵(サウル)をも愛し、多くの詩と賛美を残した文化人でもありました。詩編150篇のうち、実に73篇がダビデに関連した詩です。しかも、イエス様は彼の系譜から降誕なさり、イエス様自身も「わたしはダビデの根、また子孫、輝く明けの明星である。」(黙示録22:16)とご自身の事を表しておられます。
しかし、そんなダビデであっても、完璧な人ではありませんでした。子どもの教育には決して成功したとは言えませんし、晩年には明らかに神様の御心に背いた人口調査を行いました。そして何よりも彼の人生の最大の汚点は、Ⅱサムエル11章~12章に描かれているバテシェバ事件でしょう。部下ウリヤの妻であったバテシェバを手に入れるため、計画的に、しかも自分の手を汚すことなく、ウリヤを殺したのです。しかも最も悪いことは、計画が成功した時点において、ダビデは良心が痛むことがなかったという点です。とても同じ人物がすることとは思えません。しかし、これこそが人間の持つ罪の正体なのです。人間は神のかたちに創られました。神のうちには暗い所がまったくありませんので、私たちの本来の姿は、愛に満ち、寛容で、親切で、誠実な人格が基本的に備わっているはずです。しかし、神から離れてしまった人類には、罪の性質が入ってしまい、誰かを愛しながらも、傷つけ、仕えながらも、裏切り、誠実な心の一方で傲慢で人を見下してしまうという、まことに矛盾した存在になってしまったのです。聖書は皆から尊敬され愛されているダビデのうちにあるこのような罪の性質に蓋をすることなく、むしろ明らかにすることによって、私たちに悔い改めを迫ってくるのです。どこまでも、忍耐強く、どんな人でも決して滅んで欲しくないという神様の無限大の愛をもって、今日も主は私たちに語りかけます。ダビデは罪を指摘されてすぐに悔い改めました(詩51)。今、あなたの心は神様に向かっていますか。どのような告白がありますか。
2013年6月11日火曜日
慰めを与える神の愛
ルツ記1章16~17節
16 ルツは言った。「あなたを捨て、あなたから別れて帰るように、私にしむけないでください。あなたの行かれる所へ私も行き、あなたの住まれる所に私も住みます。あなたの民は私の民、あなたの神は私の神です。
17 あなたの死なれる所で私は死に、そこに葬られたいのです。もし死によっても私があなたから離れるようなことがあったら、主が幾重にも私を罰してくださるように。」
最愛の夫と2人の息子を亡くしたイスラエル人の姑ナオミと夫に先立たれた外国人の嫁ルツ。ナオミは、自分のことをナオミではなく、マラ(苦しみ)と呼んで下さいと言うほど喪失感と悲しみの中にいました。これから先、一体どのように生きて行けばよいのだろうか。どこに希望を見出せばよいのだろうか。そんなナオミに対し、嫁のルツは3つの愛を持ってナオミを励まします。ナオミに対する愛、イスラエル民族に対する愛、そして神に対する愛です。しかし、ルツ自身は決して喜ばしい状況にいたわけではありません。ルツも一人の女性として将来に様々な夢を描いていたことでしょう。幸せな家庭生活を期待して結婚したはずです。しかし、現実は夫に先立たれ、外国の地で、姑と2人が残されただけ。ナオミと同様にルツも苦しかったはずです。しかし、注目すべきはルツは外国人(多神教のモアブ人)でありながら、「あなたの神は私の神です。」と信仰告白をしている点です。ナオミから天地万物を創造された唯一の神についての話を聞いていたのでしょうか。礼拝している姿を通して感動を受けたのでしょうか。詳細は分かりませんが、ルツ自身がその結婚生活の中で、創造主である神に出会い、大いなる愛に触れたことは間違いないでしょう。その神様から受けた愛を持って、悲しみの中にいる、最も近い隣人と民族を愛するのです。神の愛はすべての障害を乗り越え、平和と慰めをもたらすのです。
16 ルツは言った。「あなたを捨て、あなたから別れて帰るように、私にしむけないでください。あなたの行かれる所へ私も行き、あなたの住まれる所に私も住みます。あなたの民は私の民、あなたの神は私の神です。
17 あなたの死なれる所で私は死に、そこに葬られたいのです。もし死によっても私があなたから離れるようなことがあったら、主が幾重にも私を罰してくださるように。」
最愛の夫と2人の息子を亡くしたイスラエル人の姑ナオミと夫に先立たれた外国人の嫁ルツ。ナオミは、自分のことをナオミではなく、マラ(苦しみ)と呼んで下さいと言うほど喪失感と悲しみの中にいました。これから先、一体どのように生きて行けばよいのだろうか。どこに希望を見出せばよいのだろうか。そんなナオミに対し、嫁のルツは3つの愛を持ってナオミを励まします。ナオミに対する愛、イスラエル民族に対する愛、そして神に対する愛です。しかし、ルツ自身は決して喜ばしい状況にいたわけではありません。ルツも一人の女性として将来に様々な夢を描いていたことでしょう。幸せな家庭生活を期待して結婚したはずです。しかし、現実は夫に先立たれ、外国の地で、姑と2人が残されただけ。ナオミと同様にルツも苦しかったはずです。しかし、注目すべきはルツは外国人(多神教のモアブ人)でありながら、「あなたの神は私の神です。」と信仰告白をしている点です。ナオミから天地万物を創造された唯一の神についての話を聞いていたのでしょうか。礼拝している姿を通して感動を受けたのでしょうか。詳細は分かりませんが、ルツ自身がその結婚生活の中で、創造主である神に出会い、大いなる愛に触れたことは間違いないでしょう。その神様から受けた愛を持って、悲しみの中にいる、最も近い隣人と民族を愛するのです。神の愛はすべての障害を乗り越え、平和と慰めをもたらすのです。
2013年4月22日月曜日
春の特別集会&キッズクラブ
さいたま市北区のキリスト教会
キリスト兄弟団大宮教会
2013年春の特別集会ご案内です。
講師は、榊原寛先生(東京シャロームチャペル牧師、ワールド・ビジョン・ジャパン理事長)です。
また同日、午後からはキッズクラブも行われます。
どうぞ、ご家族、ご友人をお誘いの上、集会にお越しください。
お待ちしています。
キリスト兄弟団大宮教会
2013年春の特別集会ご案内です。
講師は、榊原寛先生(東京シャロームチャペル牧師、ワールド・ビジョン・ジャパン理事長)です。
また同日、午後からはキッズクラブも行われます。
どうぞ、ご家族、ご友人をお誘いの上、集会にお越しください。
お待ちしています。
福音のためなら
Ⅰコリント9章19~23節
19 私はだれに対しても自由ですが、より多くの人を獲得するために、すべての人の奴隷となりました。
20 ユダヤ人にはユダヤ人のようになりました。それはユダヤ人を獲得するためです。律法の下にある人々には、私自身は律法の下にはいませんが、律法の下にある者のようになりました。それは律法の下にある人々を獲得するためです。
21 律法を持たない人々に対しては、――私は神の律法の外にある者ではなく、キリストの律法を守る者ですが、――律法を持たない者のようになりました。それは律法を持たない人々を獲得するためです。
22 弱い人々には、弱い者になりました。弱い人々を獲得するためです。すべての人に、すべてのものとなりました。それは、何とかして、幾人かでも救うためです。
23 私はすべてのことを、福音のためにしています。それは、私も福音の恵みをともに受ける者となるためなのです。
パウロは、イエス・キリストによる救いを得てから、その人生を全て「福音宣教」のために捧げたといっても良いでしょう。パウロは、もし福音を伝えることができないのなら、それは禍であると語っています。聖書を見ればよく分かるように、パウロほど福音宣教において、神様に用いられた人物はいなかったでしょう。彼の心にはいつも救霊の情熱がありました。「何とかして一人でも多くの人を救いに導きたい」「例え幾人かであっても、救いに導きたい」
そんな彼の福音宣教の方法には、大きく二つの側面があります。一つは、すべての人に対して福音を適用したということです。当時の一般的なユダヤ人の考えは、「救いはユダヤ人のみ」というものでした。ユダヤ人こそが、神によって選ばれた契約の民であり、救いを受けるにふさわしい民なのであって、それ以外の異邦人が、救われるなどと言うのは、まったくもって有りえないことであるということでした。しかし、彼は「異邦人の使徒」として、すべての民族に対し、この福音のメッセージを大胆に語り、救いへと導きました。二つ目は、すべての人の奴隷となった。即ち、すべての人に「仕えた」ということです。決して、上から目線で、福音を語ることはしませんでした。同国人であるユダヤ人には当然ですが、律法を持たない異邦人にも、また社会的にも、霊的にも弱い人々にも、彼は寄り添い、同じ目線で福音を語りました。私たち信仰者は、信仰生活が長くなると時として、自分を何か特別な存在に思ってしまう傾向があります。そして、この世が仕えるべき場ではなく、離れるべき対象になってしまうのです。そして、自分たちだけの居心地の良い「教会」を作り上げるのです。教会で話し合われることは、「交わり」中心になり、ますます教会が隔絶されたものになり、この世に対して何の影響力ももたらさなくなるのです。私たちは、例えどんな人であろうが、救いから離れた生活をしている人であろうが、「すべての人」に対し福音を伝え、また仕えるのです。福音の恵みを自分一人の占有物にしてはいけません。教会の中でのみ分かち合い、喜ぶものではありません。すべての隣人と共に福音の恵みを受け、味わうことを主は願っておられるのです。
2013年3月25日月曜日
神の愛に応えて
申命記6章4~6節
4 聞きなさい。イスラエル。主は私たちの神。主はただひとりである。
5 心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。
6 私がきょう、あなたに命じるこれらのことばを、あなたの心に刻みなさい。
同7章6~11節
6 あなたは、あなたの神、主の聖なる民だからである。あなたの神、主は、地の面のすべての国々の民のうちから、あなたを選んでご自分の宝の民とされた。
7 主があなたがたを恋い慕って、あなたがたを選ばれたのは、あなたがたがどの民よりも数が多かったからではない。事実、あなたがたは、すべての国々の民のうちで最も数が少なかった。
8 しかし、主があなたがたを愛されたから、また、あなたがたの先祖たちに誓われた誓いを守られたから、主は、力強い御手をもってあなたがたを連れ出し、奴隷の家から、エジプトの王パロの手からあなたを贖い出された。
9 あなたは知っているのだ。あなたの神、主だけが神であり、誠実な神である。主を愛し、主の命令を守る者には恵みの契約を千代までも守られるが、
10 主を憎む者には、これに報いて、主はたちどころに彼らを滅ぼされる。主を憎む者には猶予はされない。たちどころに報いられる。
11 私が、きょう、あなたに命じる命令――おきてと定め――を守り行なわなければならない。
出エジプトを果たしたイスラエルの民でしたが、約束の地カナン入国を前に、彼らは過渡的な状況にあったと言うことができます。それは①第一世代から、第二世代への世代交代、②荒野における遊牧生活から、カナンでの定住・農耕生活への転換といったことです。特に、これから入ろうとするカナンは豊穣の神バアルや穀物の神ダゴンなどといった異教の神々の霊的影響下にある土地でもありました。バアル礼拝においては宗教的売春が行われ、さらに人間をいけにえにささげる風習もありました。このような霊的環境において、新しい世代の人々が唯一の神との正しい関係を守っていくためには、すでに与えられた律法を改めて語り、教える必要がありました。それを、あたかも説教を語るようにして示したのが本書(申命記)です。神はモーセを通して、「聞きなさい(シェマー)イスラエル」「主は私たちの神。主はただひとりである。心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。」と語ります。これは、ただ単に神に対して無条件に服従しなさい、従順しなさいという意味ではありません。彼らが神を愛する理由は、まず神が彼らを愛され、選ばれたからこそだということです。 「あなたは、あなたの神、主の聖なる民だからである。あなたの神、主は、地の面のすべての国々の民のうちから、あなたを選んでご自分の宝の民とされた。主があなたがたを恋い慕って、あなたがたを選ばれたのは、あなたがたがどの民よりも数が多かったからではない。事実、あなたがたは、すべての国々の民のうちで最も数が少なかった。しかし、主があなたがたを愛されたから、また、あなたがたの先祖たちに誓われた誓いを守られたから、主は、力強い御手をもってあなたがたを連れ出し、奴隷の家から、エジプトの王パロの手からあなたを贖い出された。」イスラエルの民は決して模範的な民族とは言えませんでした。せっかくの出エジプトを果たした後も、神に逆らい、不平や不満は消えることはありませんでした。しかし、神は永遠なる愛、契約の愛をもって、彼らを愛されたのです。その愛なる神ご自身の御言葉を刻み付けなさいというのです。他の神々に心を寄せてはならない。惑わされてはならない。あなたを真に愛しておられる神、主の命令を守って、その道に歩み、主を恐れなさい。これこそが自らを守る道なのだと主は語られます。
4 聞きなさい。イスラエル。主は私たちの神。主はただひとりである。
5 心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。
6 私がきょう、あなたに命じるこれらのことばを、あなたの心に刻みなさい。
同7章6~11節
6 あなたは、あなたの神、主の聖なる民だからである。あなたの神、主は、地の面のすべての国々の民のうちから、あなたを選んでご自分の宝の民とされた。
7 主があなたがたを恋い慕って、あなたがたを選ばれたのは、あなたがたがどの民よりも数が多かったからではない。事実、あなたがたは、すべての国々の民のうちで最も数が少なかった。
8 しかし、主があなたがたを愛されたから、また、あなたがたの先祖たちに誓われた誓いを守られたから、主は、力強い御手をもってあなたがたを連れ出し、奴隷の家から、エジプトの王パロの手からあなたを贖い出された。
9 あなたは知っているのだ。あなたの神、主だけが神であり、誠実な神である。主を愛し、主の命令を守る者には恵みの契約を千代までも守られるが、
10 主を憎む者には、これに報いて、主はたちどころに彼らを滅ぼされる。主を憎む者には猶予はされない。たちどころに報いられる。
11 私が、きょう、あなたに命じる命令――おきてと定め――を守り行なわなければならない。
出エジプトを果たしたイスラエルの民でしたが、約束の地カナン入国を前に、彼らは過渡的な状況にあったと言うことができます。それは①第一世代から、第二世代への世代交代、②荒野における遊牧生活から、カナンでの定住・農耕生活への転換といったことです。特に、これから入ろうとするカナンは豊穣の神バアルや穀物の神ダゴンなどといった異教の神々の霊的影響下にある土地でもありました。バアル礼拝においては宗教的売春が行われ、さらに人間をいけにえにささげる風習もありました。このような霊的環境において、新しい世代の人々が唯一の神との正しい関係を守っていくためには、すでに与えられた律法を改めて語り、教える必要がありました。それを、あたかも説教を語るようにして示したのが本書(申命記)です。神はモーセを通して、「聞きなさい(シェマー)イスラエル」「主は私たちの神。主はただひとりである。心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。」と語ります。これは、ただ単に神に対して無条件に服従しなさい、従順しなさいという意味ではありません。彼らが神を愛する理由は、まず神が彼らを愛され、選ばれたからこそだということです。 「あなたは、あなたの神、主の聖なる民だからである。あなたの神、主は、地の面のすべての国々の民のうちから、あなたを選んでご自分の宝の民とされた。主があなたがたを恋い慕って、あなたがたを選ばれたのは、あなたがたがどの民よりも数が多かったからではない。事実、あなたがたは、すべての国々の民のうちで最も数が少なかった。しかし、主があなたがたを愛されたから、また、あなたがたの先祖たちに誓われた誓いを守られたから、主は、力強い御手をもってあなたがたを連れ出し、奴隷の家から、エジプトの王パロの手からあなたを贖い出された。」イスラエルの民は決して模範的な民族とは言えませんでした。せっかくの出エジプトを果たした後も、神に逆らい、不平や不満は消えることはありませんでした。しかし、神は永遠なる愛、契約の愛をもって、彼らを愛されたのです。その愛なる神ご自身の御言葉を刻み付けなさいというのです。他の神々に心を寄せてはならない。惑わされてはならない。あなたを真に愛しておられる神、主の命令を守って、その道に歩み、主を恐れなさい。これこそが自らを守る道なのだと主は語られます。
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