『私たちの願う事を神が聞いてくださると知れば、神に願ったその事は、すでにかなえられたと知るのです。』
出エジプト記17章に、エジプトを出て約束の地を目指すイスラエルの民が、アマレクと戦い勝利した記事があります。指導者であるモーセは、丘の頂に上って手をあげて祈りを捧げました。モーセが手を上げているとイスラエルが優勢になり、手を下ろすとアマレクが優勢になったとの有名な話です。多くのクリスチャンはこの話を知っています。しかしホントに重要なのは話を「知っている」ことではなく、この話のように、実際に「祈りによって勝利した」体験を持つことなのです。聖書ははっきりと私たちに語りかけます。「何でも神のみこころに叶う願い(祈り)をするなら、神はその願い(祈り)を聞いて下さり、そして、その願い(祈り)はすでに叶えられた」のだと。マルコの11章24節にも『祈って求めるものは何でもすでに受けたと信じなさい。そうすればその通りになります。』とあります。
ここで大切なのは、信仰です。祈りは必ず答えらえるのだ、いや既に神のみこころのままに答えられているのだという信仰です。主が祈りに答えて下さる訳ですから、答えられる形は様々です。祈った通りに答えらえることもあるし、祈ったこととは別な形で答えられることもあるでしょう。しかし、すべては全能の主がなさることですから、その答えは最善です。
答えられるタイミングもそれぞれです。緊急性のある祈りなら、すぐに答えられるかも知れませんし、1週間後、1か月後、祈りによっては或いは1年後、10年後かも知れません。ですから祈りを捧げた聖徒が取るべき態度は以下の言葉です。『あなたがたが神のみこころを行なって、約束のものを手に入れるために必要なのは忍耐です。』(ヘブル10章36節)
主なる神は、信仰と忍耐と御霊のとりなしによって御心を求める祈りを一つとして地に落とすことなく、必ず聞き入れ、そしてご自身のみこころのままに、私たちにとって最善の答えを下さるのです。
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