第一ヨハネ5章14節
『何事でも神のみこころにかなう願いをするなら、神はその願いを聞いてくださるということ、これこそ神に対する私たちの確信です。』
天の神様は、イエスの御名による祈りをすべて聞いて下さいます。幼い子どもの祈りでも、熟練した信仰者の祈りでも、神様はすべての者の祈りを聞いて下さり、ご自身の御心のままに御業を成してくださいます。しかし、ここで大事なことは、『何事でも神のみこころにかなう願いをするなら』ということです。主イエス様の祈りはいつも天の父の御心を求めていました。主が弟子たちに教えて下さった「主の祈り」でも、『みこころが天で行なわれるように地でも行なわれますように。』と天の御心を求めなさいと言われました。また、弟子に裏切られ、十字架に磔にされ殺される前に捧げたゲツセマネの祈りにおいてさえも、『わたしは悲しみのあまり死ぬほどです。・・・わが父よ。できますならば、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの願うようにではなく、あなたのみこころのように、なさってください。』と天の父の御心を求め祈られました。
天の御心が成るならば、それはすべて私たちにとっては感謝なことであり、最善のことです。祝福だとも言えます。ですが、その最善はいつも喜ばしいこと、嬉しいことばかりとは限りません。時には挫折したり、壁にぶち当たったり、思いがけない困難や悲しみを経験することもあるのです。しかし、もし、その悲しみが『神のみこころに沿った悲しみ』ならば、『悔いのない、救いに至る悔い改めを生じさせます』(第2コリント7章10節)。私たちを整え、聖別し、さらに深い主の恵みの世界へと導いてくれるのです。自分の欲望や野望を叶える自己中心的な祈りではなく、また、パリサイ人のように、人に見せつけ、人から賞賛されるための欺瞞の祈りでもなく、主の御心を求める祈りこそがあなたにとって最善であり、祝福の道なのです。
0 件のコメント:
コメントを投稿