2011年5月31日火曜日

真理を証しするもの

第一ヨハネ5章6~13節

6 このイエス・キリストは、水と血とによって来られた方です。ただ水によってだけでなく、水と血とによって来られたのです。そして、あかしをする方は御霊です。御霊は真理だからです。
7 あかしするものが三つあります。
8 御霊と水と血です。この三つが一つとなるのです。
9 もし、私たちが人間のあかしを受け入れるなら、神のあかしはそれにまさるものです。御子についてあかしされたことが神のあかしだからです。
10 神の御子を信じる者は、このあかしを自分の心の中に持っています。神を信じない者は、神を偽り者とするのです。神が御子についてあかしされたことを信じないからです。
11 そのあかしとは、神が私たちに永遠のいのちを与えられたということ、そしてこのいのちが御子のうちにあるということです。
12 御子を持つ者はいのちを持っており、神の御子を持たない者はいのちを持っていません。
13 私が神の御子の名を信じているあなたがたに対してこれらのことを書いたのは、あなたがたが永遠のいのちを持っていることを、あなたがたによくわからせるためです。

真のキリスト者とは、心に御子イエスを持っている者です。イエスの十字架によって罪赦されたことを大胆に証しする者です。水(バプテスマ)と血(十字架)により、新しくされ、聖められた者です。自分を誇るのではなく、自分を証しするのでもなく、何よりもイエス・キリストを自らの主として、イエス・キリストを一番の誇りとして歩む者です。どんなに洗練された礼拝を捧げても、美しい賛美を捧げても、どんなに立派なことを宣べても、自らを罪人であると認め、且つ、十字架により罪赦され、永遠のいのちに預かったのだという確信が無いならば、それはむなしい信仰です。救いの業とはすべて、自分の業ではなく、ただ御霊なる神の恵みなのです。なぜなら御霊が真理(6)だからです。『私たちは真実でなくても、彼は常に真実である。』(Ⅱテモテ2:13)

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