ヨハネの手紙第一 4章13節~21節
13 神は私たちに御霊を与えてくださいました。それによって、私たちが神のうちにおり、神も私たちのうちにおられることがわかります。
14 私たちは、御父が御子を世の救い主として遣わされたのを見て、今そのあかしをしています。
15 だれでも、イエスを神の御子と告白するなら、神はその人のうちにおられ、その人も神のうちにいます。
16 私たちは、私たちに対する神の愛を知り、また信じています。神は愛です。愛のうちにいる者は神のうちにおり、神もその人のうちにおられます。
17 このことによって、愛が私たちにおいても完全なものとなりました。それは私たちが、さばきの日にも大胆さを持つことができるためです。なぜなら、私たちもこの世にあってキリストと同じような者であるからです。
18 愛には恐れがありません。全き愛は恐れを締め出します。なぜなら恐れには刑罰が伴っているからです。恐れる者の愛は、全きものとなっていないのです。
19 私たちは愛しています。神がまず私たちを愛してくださったからです。
20 神を愛すると言いながら兄弟を憎んでいるなら、その人は偽り者です。目に見える兄弟を愛していない者に、目に見えない神を愛することはできません。
21 神を愛する者は、兄弟をも愛すべきです。私たちはこの命令をキリストから受けています。
人間が神から離れた(罪を犯した)結果もたらされた感情の一つが「恐れ」です。この世は、私たちを恐れさせるもので満ちています。自然災害の脅威は恐れをもたらします。また、自分が持っているものを失うことは、それ以上の恐れかも知れません。健康、仕事、財産や地位、愛する者が突然私たちから失われてしまうとするならば、ぞっとします。
しかし、聖書には決して失われないものがあると言います。それは「永遠」です。神様ご自身は永遠のお方であり、その神様が私たちに注いでくださる愛もまた「永遠」のものです。「永遠」を手に入れた者は、例えすべてを失ったとしても、決して絶望せず、希望を持つことができます。
韓国の女子大生だったイ・チソンさんは、ある日、交通事故に遭ってしまい、全身に大やけどを負い、その美しい顔を顔を失ってしましました。人々は容赦なしに彼女を好奇の目で見つめ、心無い言葉で彼女を苦しめました。しかし、彼女は彼女は言います。「私は幸せです」「以前の姿に戻りたくはありません」と。なぜでしょう。彼女は語ります。
「確かに私はこの苦難により、外から見えるものは失われましたが、代わりに目に見えないまことの宝物を与えられたのです。元に戻ってしまうと、神様から頂いたこの宝も失ってしまうから戻りたくないのです。」
あなたにも神様からの永遠の宝物である、愛が注がれています。永遠のいのちが約束されています。どうか、いつか消えゆく有限のものから、決して失われない永遠のものに目を向けてください。永遠の神の愛が、失うことへの恐れからあなたを解放させるのです。
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