エステル記4章1~16節
1 モルデカイは、なされたすべてのことを知った。すると、モルデカイは着物を引き裂き、荒布をまとい、灰をかぶり、大声でひどくわめき叫びながら町の真中に出て行き、
2 王の門の前まで来た。だれも荒布をまとったままでは、王の門にはいることができなかったからである。
3 王の命令とその法令が届いたどの州においても、ユダヤ人のうちに大きな悲しみと、断食と、泣き声と、嘆きとが起こり、多くの者は荒布を着て灰の上にすわった。
4 そのとき、エステルの侍女たちと、その宦官たちがはいって来て、彼女にこのことを告げたので、王妃はひどく悲しみ、モルデカイに着物を送って、それを着させ、荒布を脱がせようとしたが、彼はそれを受け取らなかった。
5 そこでエステルは、王の宦官のひとりで、王が彼女に仕えさせるために任命していたハタクを呼び寄せ、モルデカイのところへ行って、これはどういうわけか、また何のためかと聞いて来るように命じた。
6 それで、ハタクは王の門の前の町の広場にいるモルデカイのところに出て行った。
7 モルデカイは自分の身に起こったことを全部、彼に告げ、ハマンがユダヤ人を滅ぼすために、王の金庫に納めると約束した正確な金額をも告げた。
8 モルデカイはまた、ユダヤ人を滅ぼすためにシュシャンで発布された法令の文書の写しをハタクに渡し、それをエステルに見せて、事情を知らせてくれと言い、また、彼女が王のところに行って、自分の民族のために王にあわれみを求めるように彼女に言いつけてくれと頼んだ。
9 ハタクは帰って来て、モルデカイの伝言をエステルに伝えた。
10 するとエステルはハタクに命じて、モルデカイにこう伝えさせた。
11 「王の家臣も、王の諸州の民族もみな、男でも女でも、だれでも、召されないで内庭にはいり、王のところに行く者は死刑に処せられるという一つの法令があることを知っております。しかし、王がその者に金の笏を差し伸ばせば、その者は生きます。でも、私はこの三十日間、まだ、王のところへ行くようにと召されていません。」
12 彼がエステルのことばをモルデカイに伝えると、
13 モルデカイはエステルに返事を送って言った。「あなたはすべてのユダヤ人から離れて王宮にいるから助かるだろうと考えてはならない。
14 もし、あなたがこのような時に沈黙を守るなら、別の所から、助けと救いがユダヤ人のために起ころう。しかしあなたも、あなたの父の家も滅びよう。あなたがこの王国に来たのは、もしかすると、この時のためであるかもしれない。」
15 エステルはモルデカイに返事を送って言った。
16 「行って、シュシャンにいるユダヤ人をみな集め、私のために断食をしてください。三日三晩、食べたり飲んだりしないように。私も、私の侍女たちも、同じように断食をしましょう。たとい法令にそむいても私は王のところへまいります。私は、死ななければならないのでしたら、死にます。」
私たちがこの世に生を与えられた目的は何でしょうか。それは神の栄光が自分という存在を通して表わされることです。そのためには神様への絶対的な信頼と信仰、そしてみ言葉に従順であるということが問われます。エステルが王妃としてペルシャの国に嫁いだのには目的がありました。それはユダヤ民族を滅亡の危機から救うというものでした。そのことを通して神の御業が表わされることを願って、神はエステルを選ばれました。養父のモルデカイはエステルに語ります。「モルデカイはまた、ユダヤ人を滅ぼすためにシュシャンで発布された法令の文書の写しをハタクに渡し、それをエステルに見せて、事情を知らせてくれと言い、また、彼女が王のところに行って、自分の民族のために王にあわれみを求めるように彼女に言いつけてくれと頼んだ。」(8節)「もし、あなたがこのような時に沈黙を守るなら、別の所から、助けと救いがユダヤ人のために起ころう。しかしあなたも、あなたの父の家も滅びよう。あなたがこの王国に来たのは、もしかすると、この時のためであるかもしれない。」(14節)この神から与えられた召しは、決して易しいものではありません。なぜなら、王に民族抹殺の法令の取り消しを願うことは、それこそ自分の命を懸けなければならなかったからです。「王の家臣も、王の諸州の民族もみな、男でも女でも、だれでも、召されないで内庭にはいり、王のところに行く者は死刑に処せられるという一つの法令があるを知っております。しかし、王がその者に金の笏を差し伸ばせば、その者は生きます。でも、私はこの三十日間、まだ、王のところへ行くようにと召されていません。」(11節)
しかし、エステルが取った決断はこうでした。 「行って、シュシャンにいるユダヤ人をみな集め、私のために断食をしてください。三日三晩、食べたり飲んだりしないように。私も、私の侍女たちも、同じように断食をしましょう。たとい法令にそむいても私は王のところへまいります。私は、死ななければならないのでしたら、死にます。」(16節)彼女は自分の命が主のものであることを悟っていました。また自分の使命に対してまっすぐに向き合いました。自分の信仰の決断が民族を救うのだということを彼女は信じ従いました。神はすべての人を召しておられます。その目的や用い方は違いますが、神の召しは普遍的であり、主権的なものです。あなたを通してでしか現わされない神の業があるのです。
2013年10月7日月曜日
2013年9月16日月曜日
秋の特別礼拝
さいたま市北区のキリスト教会
初めての聖書~分かりやすい聖書の話
聖書は、国や文化、言語、時代を超えて人々に愛され続けている世界のベストセラーです。今や世界の2700以上の言語に翻訳されていることからもその影響力の大きさが分かります。聖書は神の知恵と愛の結晶であり、読む者に希望を与え、罪からの救いに至らせる唯一の書物です。聖書について関心がある方、学んでみたい方、どうぞお越しください。
日時 9月22日(日)
午前10時30分~12時
お待ちしてます!!
初めての聖書~分かりやすい聖書の話
聖書は、国や文化、言語、時代を超えて人々に愛され続けている世界のベストセラーです。今や世界の2700以上の言語に翻訳されていることからもその影響力の大きさが分かります。聖書は神の知恵と愛の結晶であり、読む者に希望を与え、罪からの救いに至らせる唯一の書物です。聖書について関心がある方、学んでみたい方、どうぞお越しください。
日時 9月22日(日)
午前10時30分~12時
お待ちしてます!!
2013年8月19日月曜日
特別礼拝のご案内
さいたま市北区のキリスト教会
キリスト兄弟団大宮教会では、8月25日(日)に横浜教会牧師の小野寺その枝先生をお迎えして「心のいやしの礼拝」を致します。先生のお証しと開かれる聖書の言葉を通して主イエスさまの癒しを受け取りましょう。席上献金の時がありますが、入場は無料です。どなたでもお気軽にお越しください。もちろんクリスチャンじゃなくても大歓迎ですよ。
日時 8月25日(日)10:30~12:00
会場 キリスト兄弟団大宮教会礼拝堂
お待ちしてま~す(#^.^#)
キリスト兄弟団大宮教会では、8月25日(日)に横浜教会牧師の小野寺その枝先生をお迎えして「心のいやしの礼拝」を致します。先生のお証しと開かれる聖書の言葉を通して主イエスさまの癒しを受け取りましょう。席上献金の時がありますが、入場は無料です。どなたでもお気軽にお越しください。もちろんクリスチャンじゃなくても大歓迎ですよ。
日時 8月25日(日)10:30~12:00
会場 キリスト兄弟団大宮教会礼拝堂
お待ちしてま~す(#^.^#)
2013年8月1日木曜日
真夏のコンサート
さいたま市北区のキリスト教会
今年もやってきました。韓国ホーリネス教会協力による特別プログラム。
今回は、イエス様の愛「真夏のコンサート」として、ダンス、ゴスペル、ハンドマイム、バイブルメッセージなど内容盛り沢山でお送りします。
メッセンジャーは、ソウル聖楽聖潔教会牧師のカン・アニル先生です。
ご期待ください。
日時 2013/8/3(土)19:00~20:30
会場 キリスト兄弟団大宮教会
どなたでもお気軽にお越しください。入場無料です。お待ちしてま~す!!!
今年もやってきました。韓国ホーリネス教会協力による特別プログラム。
今回は、イエス様の愛「真夏のコンサート」として、ダンス、ゴスペル、ハンドマイム、バイブルメッセージなど内容盛り沢山でお送りします。
メッセンジャーは、ソウル聖楽聖潔教会牧師のカン・アニル先生です。
ご期待ください。
日時 2013/8/3(土)19:00~20:30
会場 キリスト兄弟団大宮教会
どなたでもお気軽にお越しください。入場無料です。お待ちしてま~す!!!
2013年7月18日木曜日
主の前に
Ⅰ列王記11章1~13節
1 ソロモン王は、パロの娘のほかに多くの外国の女、すなわちモアブ人の女、アモン人の女、エドム人の女、シドン人の女、ヘテ人の女を愛した。
2 この女たちは、主がかつてイスラエル人に、「あなたがたは彼らの中にはいって行ってはならない。彼らをもあなたがたの中に入れてはならない。さもないと、彼らは必ずあなたがたの心を転じて彼らの神々に従わせる。」と言われたその国々の者であった。それなのに、ソロモンは彼女たちを愛して、離れなかった。
3 彼には七百人の王妃としての妻と、三百人のそばめがあった。その妻たちが彼の心を転じた。
4 ソロモンが年をとったとき、その妻たちが彼の心をほかの神々のほうへ向けたので、彼の心は、父ダビデの心とは違って、彼の神、主と全く一つにはなっていなかった。
5 ソロモンはシドン人の神アシュタロテと、アモン人のあの忌むべきミルコムに従った。
6 こうしてソロモンは、主の目の前に悪を行ない、父ダビデのようには、主に従い通さなかった。
7 当時、ソロモンは、モアブの、忌むべきケモシュと、アモン人の、忌むべきモレクのために、エルサレムの東にある山の上に高き所を築いた。
8 彼は外国人の自分のすべての妻のためにも、同じようなことをしたので、彼女たちは自分たちの神々に香をたき、いけにえをささげた。
9 主はソロモンに怒りを発せられた。それは彼の心がイスラエルの神、主から移り変わったからである。主は二度も彼に現われ、
10 このことについて、ほかの神々に従って行ってはならないと命じておられたのに、彼は主の命令を守らなかったからである。
11 それゆえ、主はソロモンに仰せられた。「あなたがこのようにふるまい、わたしが命じたわたしの契約とおきてとを守らなかったので、わたしは王国をあなたから必ず引き裂いて、あなたの家来に与える。
12 しかし、あなたの父ダビデに免じて、あなたの存命中は、そうしないが、あなたの子の手からそれを引き裂こう。
13 ただし、王国全部を引き裂くのではなく、わたしのしもべダビデと、わたしが選んだエルサレムのために、一つの部族だけをあなたの子に与えよう。」
ソロモン王はすべてを持っている王でした。地位、名誉、財産、権力、名声、そして知恵に富み、主を畏れ、荘厳な主の神殿を築き上げることができたのもソロモンの治世においてでした。しかし、これらの祝福は彼自身によってもたらされたものではありません。父ダビデの信仰と悔い改め、また、彼自身の主の御心に叶う祈りの結果によってもたらされたということができます。
彼は父ダビデが罪を犯し、その裁きが下った後に誕生した子ではありましたが、主はダビデの悔い改めを良しとされ、預言者ナタンが「その名をエディデヤ(主に愛される者)と名づけさせた。」(Ⅱサムエル12:25)とあるように、主は彼を愛し、大いに祝福されます。また、 「わが神、主よ。今、あなたは私の父ダビデに代わって、このしもべを王とされました。しかし、私は小さい子どもで、出入りするすべを知りません。そのうえ、しもべは、あなたの選んだあなたの民の中におります。しかも、彼らはあまりにも多くて、数えることも調べることもできないほど、おびただしい民です。善悪を判断してあなたの民をさばくために聞き分ける心をしもべに与えてください。さもなければ、だれに、このおびただしいあなたの民をさばくことができるでしょうか。」(Ⅰ列3:7-9)と主の御心に叶う祈りを捧げたことによって、神は彼に「あなたがこのことを求め、自分のために長寿を求めず、自分のために富を求めず、あなたの敵のいのちをも求めず、むしろ、自分のために正しい訴えを聞き分ける判断力を求めたので、今、わたしはあなたの言ったとおりにする。見よ。わたしはあなたに知恵の心と判断する心とを与える。あなたの先に、あなたのような者はなかった。また、あなたのあとに、あなたのような者も起こらない。そのうえ、あなたの願わなかったもの、富と誉れとをあなたに与える。あなたの生きているかぎり、王たちの中であなたに並ぶ者はひとりもないであろう。」(Ⅰ列3:11-13)と語られました。
しかし、ソロモンはその治世の後半、主から離れてしまいました。すべてを与えて下さった主に対する畏敬と崇拝がありませんでした。それどころか、忌むべき異教の神々を受け入れ、従い、主の目の前に悪を行ってしまいました。結果、国家は分断され、王国はやがて崩壊へと進んでいくことになります。なぜ、こうなってしまったのでしょうか。キーワードは「主の前に」「主の目の前に」と言う言葉です。これが列王記をひも解くキーワードです。すべてを手に入れた彼はいつのまにか、主の前にあって、謙遜な心と、心からの礼拝を失ってしまいました。日々の中で主を意識することがなくなると、人はその欲望に従い目に見える満足を求めます。ソロモンはこの世のすべての満足を求め、また体験しましたが、その心は空虚でした。彼の心を埋めることはできませんでした。しかし、そんな中にあっても、彼はダビデのように悔い改め、主を求めることはしませんでした。若き頃のように、謙遜な心で主に祈ることを選びませんでした。「主の前にいること」「主の目に叶う事」を彼はいつの間にか忘れてしまったのです。
聖書は語ります。「兄弟たち。おのおの召されたときのままの状態で、神の御前にいなさい。」(Ⅰコリント7:24)
1 ソロモン王は、パロの娘のほかに多くの外国の女、すなわちモアブ人の女、アモン人の女、エドム人の女、シドン人の女、ヘテ人の女を愛した。
2 この女たちは、主がかつてイスラエル人に、「あなたがたは彼らの中にはいって行ってはならない。彼らをもあなたがたの中に入れてはならない。さもないと、彼らは必ずあなたがたの心を転じて彼らの神々に従わせる。」と言われたその国々の者であった。それなのに、ソロモンは彼女たちを愛して、離れなかった。
3 彼には七百人の王妃としての妻と、三百人のそばめがあった。その妻たちが彼の心を転じた。
4 ソロモンが年をとったとき、その妻たちが彼の心をほかの神々のほうへ向けたので、彼の心は、父ダビデの心とは違って、彼の神、主と全く一つにはなっていなかった。
5 ソロモンはシドン人の神アシュタロテと、アモン人のあの忌むべきミルコムに従った。
6 こうしてソロモンは、主の目の前に悪を行ない、父ダビデのようには、主に従い通さなかった。
7 当時、ソロモンは、モアブの、忌むべきケモシュと、アモン人の、忌むべきモレクのために、エルサレムの東にある山の上に高き所を築いた。
8 彼は外国人の自分のすべての妻のためにも、同じようなことをしたので、彼女たちは自分たちの神々に香をたき、いけにえをささげた。
9 主はソロモンに怒りを発せられた。それは彼の心がイスラエルの神、主から移り変わったからである。主は二度も彼に現われ、
10 このことについて、ほかの神々に従って行ってはならないと命じておられたのに、彼は主の命令を守らなかったからである。
11 それゆえ、主はソロモンに仰せられた。「あなたがこのようにふるまい、わたしが命じたわたしの契約とおきてとを守らなかったので、わたしは王国をあなたから必ず引き裂いて、あなたの家来に与える。
12 しかし、あなたの父ダビデに免じて、あなたの存命中は、そうしないが、あなたの子の手からそれを引き裂こう。
13 ただし、王国全部を引き裂くのではなく、わたしのしもべダビデと、わたしが選んだエルサレムのために、一つの部族だけをあなたの子に与えよう。」
ソロモン王はすべてを持っている王でした。地位、名誉、財産、権力、名声、そして知恵に富み、主を畏れ、荘厳な主の神殿を築き上げることができたのもソロモンの治世においてでした。しかし、これらの祝福は彼自身によってもたらされたものではありません。父ダビデの信仰と悔い改め、また、彼自身の主の御心に叶う祈りの結果によってもたらされたということができます。
彼は父ダビデが罪を犯し、その裁きが下った後に誕生した子ではありましたが、主はダビデの悔い改めを良しとされ、預言者ナタンが「その名をエディデヤ(主に愛される者)と名づけさせた。」(Ⅱサムエル12:25)とあるように、主は彼を愛し、大いに祝福されます。また、 「わが神、主よ。今、あなたは私の父ダビデに代わって、このしもべを王とされました。しかし、私は小さい子どもで、出入りするすべを知りません。そのうえ、しもべは、あなたの選んだあなたの民の中におります。しかも、彼らはあまりにも多くて、数えることも調べることもできないほど、おびただしい民です。善悪を判断してあなたの民をさばくために聞き分ける心をしもべに与えてください。さもなければ、だれに、このおびただしいあなたの民をさばくことができるでしょうか。」(Ⅰ列3:7-9)と主の御心に叶う祈りを捧げたことによって、神は彼に「あなたがこのことを求め、自分のために長寿を求めず、自分のために富を求めず、あなたの敵のいのちをも求めず、むしろ、自分のために正しい訴えを聞き分ける判断力を求めたので、今、わたしはあなたの言ったとおりにする。見よ。わたしはあなたに知恵の心と判断する心とを与える。あなたの先に、あなたのような者はなかった。また、あなたのあとに、あなたのような者も起こらない。そのうえ、あなたの願わなかったもの、富と誉れとをあなたに与える。あなたの生きているかぎり、王たちの中であなたに並ぶ者はひとりもないであろう。」(Ⅰ列3:11-13)と語られました。
しかし、ソロモンはその治世の後半、主から離れてしまいました。すべてを与えて下さった主に対する畏敬と崇拝がありませんでした。それどころか、忌むべき異教の神々を受け入れ、従い、主の目の前に悪を行ってしまいました。結果、国家は分断され、王国はやがて崩壊へと進んでいくことになります。なぜ、こうなってしまったのでしょうか。キーワードは「主の前に」「主の目の前に」と言う言葉です。これが列王記をひも解くキーワードです。すべてを手に入れた彼はいつのまにか、主の前にあって、謙遜な心と、心からの礼拝を失ってしまいました。日々の中で主を意識することがなくなると、人はその欲望に従い目に見える満足を求めます。ソロモンはこの世のすべての満足を求め、また体験しましたが、その心は空虚でした。彼の心を埋めることはできませんでした。しかし、そんな中にあっても、彼はダビデのように悔い改め、主を求めることはしませんでした。若き頃のように、謙遜な心で主に祈ることを選びませんでした。「主の前にいること」「主の目に叶う事」を彼はいつの間にか忘れてしまったのです。
聖書は語ります。「兄弟たち。おのおの召されたときのままの状態で、神の御前にいなさい。」(Ⅰコリント7:24)
2013年7月9日火曜日
あなたを取り戻す
ルカ19章10節
「人の子は、失われた人を捜して救うために来たのです。」
イザヤ書
「ヤコブよ。これらのことを覚えよ。イスラエルよ。あなたはわたしのしもべ。わたしが、あなたを造り上げた。あなたは、わたし自身のしもべだ。イスラエルよ。あなたはわたしに忘れられることがない。わたしは、あなたのそむきの罪を雲のように、あなたの罪をかすみのようにぬぐい去った。わたしに帰れ。わたしは、あなたを贖ったからだ。」
この世にあって失ってはいけないものがあります。いのちや財産、あるいは信頼されることも失ってはいけない大切なものです。しかし、もっとも人間が失ってはいけなかったのに、失ってしまったものがあります。それは「神様との交わり」です。このことを失ってしまったがゆえに、人間は罪の世界で苦悩するようになりました。神様から離れた状態では、いかに優れた科学の力や思想や政治システムをもってしても、結局はバベルの塔を建て上げ、得るどころかかえって失うことになるのです。では、私たちはどうすれば良いのでしょうか。感謝なことに、神様は永遠に存在される方であり、私たちに向けられたその愛はこの世の終わりまで決して耐えることはありません。私たちは神様の事を忘れてしまっても、神様は私たちの事を忘れないと聖書は語ります。しかも、忘れたくても忘れられない、消し去りたくても消し去ることができない、罪の記憶をイエス・キリストだけが消し去って下さるのです。十字架の血潮でまったくきれいに拭い去って下さるのです。なぜならばイエス様がこの世に来られた目的は「失われた人を捜して救うため」だからです。主イエス様の元に帰りましょう。帰るのはいつですか。今です。
「人の子は、失われた人を捜して救うために来たのです。」
イザヤ書
「ヤコブよ。これらのことを覚えよ。イスラエルよ。あなたはわたしのしもべ。わたしが、あなたを造り上げた。あなたは、わたし自身のしもべだ。イスラエルよ。あなたはわたしに忘れられることがない。わたしは、あなたのそむきの罪を雲のように、あなたの罪をかすみのようにぬぐい去った。わたしに帰れ。わたしは、あなたを贖ったからだ。」
この世にあって失ってはいけないものがあります。いのちや財産、あるいは信頼されることも失ってはいけない大切なものです。しかし、もっとも人間が失ってはいけなかったのに、失ってしまったものがあります。それは「神様との交わり」です。このことを失ってしまったがゆえに、人間は罪の世界で苦悩するようになりました。神様から離れた状態では、いかに優れた科学の力や思想や政治システムをもってしても、結局はバベルの塔を建て上げ、得るどころかかえって失うことになるのです。では、私たちはどうすれば良いのでしょうか。感謝なことに、神様は永遠に存在される方であり、私たちに向けられたその愛はこの世の終わりまで決して耐えることはありません。私たちは神様の事を忘れてしまっても、神様は私たちの事を忘れないと聖書は語ります。しかも、忘れたくても忘れられない、消し去りたくても消し去ることができない、罪の記憶をイエス・キリストだけが消し去って下さるのです。十字架の血潮でまったくきれいに拭い去って下さるのです。なぜならばイエス様がこの世に来られた目的は「失われた人を捜して救うため」だからです。主イエス様の元に帰りましょう。帰るのはいつですか。今です。
2013年7月1日月曜日
心の転換
Ⅱペテロ3章9節
主は、ある人たちがおそいと思っているように、その約束のことを遅らせておられるのではありません。かえって、あなたがたに対して忍耐深くあられるのであって、ひとりでも滅びることを望まず、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。
イスラエル人たちが最も敬愛し、誇らしく思っている人物の一人がダビデ王です。ダビデはイスラエル第2代目の王(BC1010~970)であり、王国が最も栄えた時でもありました。羊飼いとして育った彼は勇士であり、一流の政治家であり、敵(サウル)をも愛し、多くの詩と賛美を残した文化人でもありました。詩編150篇のうち、実に73篇がダビデに関連した詩です。しかも、イエス様は彼の系譜から降誕なさり、イエス様自身も「わたしはダビデの根、また子孫、輝く明けの明星である。」(黙示録22:16)とご自身の事を表しておられます。
しかし、そんなダビデであっても、完璧な人ではありませんでした。子どもの教育には決して成功したとは言えませんし、晩年には明らかに神様の御心に背いた人口調査を行いました。そして何よりも彼の人生の最大の汚点は、Ⅱサムエル11章~12章に描かれているバテシェバ事件でしょう。部下ウリヤの妻であったバテシェバを手に入れるため、計画的に、しかも自分の手を汚すことなく、ウリヤを殺したのです。しかも最も悪いことは、計画が成功した時点において、ダビデは良心が痛むことがなかったという点です。とても同じ人物がすることとは思えません。しかし、これこそが人間の持つ罪の正体なのです。人間は神のかたちに創られました。神のうちには暗い所がまったくありませんので、私たちの本来の姿は、愛に満ち、寛容で、親切で、誠実な人格が基本的に備わっているはずです。しかし、神から離れてしまった人類には、罪の性質が入ってしまい、誰かを愛しながらも、傷つけ、仕えながらも、裏切り、誠実な心の一方で傲慢で人を見下してしまうという、まことに矛盾した存在になってしまったのです。聖書は皆から尊敬され愛されているダビデのうちにあるこのような罪の性質に蓋をすることなく、むしろ明らかにすることによって、私たちに悔い改めを迫ってくるのです。どこまでも、忍耐強く、どんな人でも決して滅んで欲しくないという神様の無限大の愛をもって、今日も主は私たちに語りかけます。ダビデは罪を指摘されてすぐに悔い改めました(詩51)。今、あなたの心は神様に向かっていますか。どのような告白がありますか。
主は、ある人たちがおそいと思っているように、その約束のことを遅らせておられるのではありません。かえって、あなたがたに対して忍耐深くあられるのであって、ひとりでも滅びることを望まず、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。
イスラエル人たちが最も敬愛し、誇らしく思っている人物の一人がダビデ王です。ダビデはイスラエル第2代目の王(BC1010~970)であり、王国が最も栄えた時でもありました。羊飼いとして育った彼は勇士であり、一流の政治家であり、敵(サウル)をも愛し、多くの詩と賛美を残した文化人でもありました。詩編150篇のうち、実に73篇がダビデに関連した詩です。しかも、イエス様は彼の系譜から降誕なさり、イエス様自身も「わたしはダビデの根、また子孫、輝く明けの明星である。」(黙示録22:16)とご自身の事を表しておられます。
しかし、そんなダビデであっても、完璧な人ではありませんでした。子どもの教育には決して成功したとは言えませんし、晩年には明らかに神様の御心に背いた人口調査を行いました。そして何よりも彼の人生の最大の汚点は、Ⅱサムエル11章~12章に描かれているバテシェバ事件でしょう。部下ウリヤの妻であったバテシェバを手に入れるため、計画的に、しかも自分の手を汚すことなく、ウリヤを殺したのです。しかも最も悪いことは、計画が成功した時点において、ダビデは良心が痛むことがなかったという点です。とても同じ人物がすることとは思えません。しかし、これこそが人間の持つ罪の正体なのです。人間は神のかたちに創られました。神のうちには暗い所がまったくありませんので、私たちの本来の姿は、愛に満ち、寛容で、親切で、誠実な人格が基本的に備わっているはずです。しかし、神から離れてしまった人類には、罪の性質が入ってしまい、誰かを愛しながらも、傷つけ、仕えながらも、裏切り、誠実な心の一方で傲慢で人を見下してしまうという、まことに矛盾した存在になってしまったのです。聖書は皆から尊敬され愛されているダビデのうちにあるこのような罪の性質に蓋をすることなく、むしろ明らかにすることによって、私たちに悔い改めを迫ってくるのです。どこまでも、忍耐強く、どんな人でも決して滅んで欲しくないという神様の無限大の愛をもって、今日も主は私たちに語りかけます。ダビデは罪を指摘されてすぐに悔い改めました(詩51)。今、あなたの心は神様に向かっていますか。どのような告白がありますか。
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