2013年1月30日水曜日

みな赦します

ルカの福音書11章4節
 4 私たちの罪をお赦しください。私たちも私たちに負いめのある者をみな赦します。

「私たちの罪をお赦しください。」と祈りなさいとイエスさまは私たちが教えてくださいましたが、これは人間が根本的に誰でも罪人であるということを表わしています。人間が罪人である限り、人は互いに傷つけあったり、憎みあったり、嫉妬しあったり、争ったりするということです。ですから、私たちには「赦し、赦される」ということが必要になるわけですが、聖書はこの「赦し」について2通りの赦しが必要だと言うのです。即ち、「神様に赦していただく」ということと、「人を赦す」ということです。このいずれかだけではいけないのです。神様に赦していただき、人を赦すのです。神様に赦してもらっていながら、人を赦せないというのは偽善者です。「神を愛すると言いながら兄弟を憎んでいるなら、その人は偽り者です。目に見える兄弟を愛していない者に、目に見えない神を愛することはできません。」(Ⅰヨハネ4:20)、「光の中にいると言いながら、兄弟を憎んでいる者は、今もなお、やみの中にいるのです。」(同2:9)。ですから例えどんなに自分にとって負い目がある人であっても、その人を「みな赦します」と祈るべきです。「赦したいです」「いつか赦せるように」といった消極的な祈りではなく、「赦します!」と宣言するのです。しかし、この祈りを本当に自らのものにするためには、まず何より神の赦しを受けなければなりません。私たちのすべての罪の呪いを引き受けて十字架にかかってくださったイエス・キリストを信じること、こんな罪人の私でも赦されたのだという自覚が芽生えてこそ、人を心から赦せるようになるのです。人を赦す力の源は、イエスさまから来るのだということです。あなたは、今、赦せない人はいますか。赦したいとは思うけど、感情がそうならない人はいますか。その人は平和の君、イエス・キリストを主としてください。イエス様の霊である、聖霊に満たされて下さい。「キリストこそ私たちの平和であり、二つのものを一つにし、隔ての壁を打ちこわし、ご自分の肉において、敵意を廃棄された方です。」(エペソ2:14)

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