2013年1月22日火曜日

必要な糧を与えて下さる神

ルカの福音書11章3節
 3 私たちの日ごとの糧を毎日お与えください。

 皆さんは毎日の食事に困っておられるでしょうか。今日食べる物がない、明日食べる物がない、だから毎日食べられるように「私たちの日ごとの糧を毎日お与えください。」と祈るようにイエスさまはこの祈りを教えたのだ。イエス様の時代の人々は貧しい人が多かったから、きっとこの祈りは貧しいのための祈りなのだ。だから、毎日の食事に特に困っていない私にはあまり関係がない祈りだ。
 いかがでしょうか。本当にこの祈りは日々の食物に困っていない人々には関係がない祈りなのでしょうか。ではなぜイエスさまは、「主の祈り」の中にこの祈りを入れたのでしょうか。御言葉にもう一度注目してみてください。
 「私たちの日ごとの糧を毎日お与えください。」
 私たちの日ごとの糧。この「私たち」という言葉をどこまで拡げることができるかによってこの祈りが変わってくるのです。自分は毎日食べることが出来ていても、周りの人々はどうでしょうか。或いは世界の人々はどうでしょうか。世界には約70億人の人口がいますが、その内飢餓で苦しんでいる人は10億人近くにもなります。実に7人に一人が飢えている状況です。では食料が足りないのかといえばそうではありません。穀物だけでも世界の倍近くの人口を養うだけの量があり、他の食物を足せば有り余るほどの食物があるのです。問題は分配の問題です。世界人口の5分の1の工業先進国の人々が世界中の穀物の5分の2を消費し、逆に世界人口の5分の4の開発途上国の人々が世界の穀物の5分の3の量で暮らしているのです。それだけ工業先進国から出る食物の廃棄量が多いと言う事です。特に日本はその点が深刻です。日本は食品の70%(5800万トン)を輸入に頼っていながら、その内の3分の1(1940万トン)を廃棄しているそうです。この廃棄量は世界一の消費大国アメリカを上回る量であり、実に3000万人分(途上国の5000万人分)の年間食糧に匹敵する量だそうです。
 この現実に目を留めるなら、この祈りはもっと私たちにとって切実な祈りとならないでしょうか。一昨年の震災で私たちの国も、特に被災された方々にとっては、日々の糧、食物のみならず、着るものも、住む家も、そして仕事といった、生活に必要な様々なものが失われてしまいました。自然が私たちにとって脅威となると、私たちの生活は非常に厳しくなります。都市であればあるほど実にもろいのです。電気や水道などのライフラインがすべてストップしたら、私たちの生活はどうなるでしょう。物流システムが停止したらどうなるでしょう。私たちは神様の守りと、また供給がないと、絶対に生きられないのです。いや、神様によって初めて私たちは存在し、この世に生きているのです。「私たちの日ごとの糧を毎日お与えください。」この祈りを唱えるごとに、私たちに日々の糧を与えて下さっておられる神様への感謝が出てくるのです。また世界の兄弟たちへの祈りと実際的な執り成しへと目が向けられるのです。そして、世界の平和と安定のために心が注がれるのです。

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