2012年11月19日月曜日
召天者記念礼拝
「死は勝利にのまれた」
ヨハネの黙示録21章1~4節
1 また私は、新しい天と新しい地とを見た。以前の天と、以前の地は過ぎ去り、もはや海もない。
2 私はまた、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために飾られた花嫁のように整えられて、神のみもとを出て、天から下って来るのを見た。
3 そのとき私は、御座から出る大きな声がこう言うのを聞いた。「見よ。神の幕屋が人とともにある。神は彼らとともに住み、彼らはその民となる。また、神ご自身が彼らとともにおられて、
4 彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださる。もはや死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない。なぜなら、以前のものが、もはや過ぎ去ったからである。」
コリント人への手紙第一15章50~58節
50 兄弟たちよ。私はこのことを言っておきます。血肉のからだは神の国を相続できません。朽ちるものは、朽ちないものを相続できません。
51 聞きなさい。私はあなたがたに奥義を告げましょう。私たちはみなが眠ってしまうのではなく、みな変えられるのです。
52 終わりのラッパとともに、たちまち、一瞬のうちにです。ラッパが鳴ると、死者は朽ちないものによみがえり、私たちは変えられるのです。
53 朽ちるものは、必ず朽ちないものを着なければならず、死ぬものは、必ず不死を着なければならないからです。
54 しかし、朽ちるものが朽ちないものを着、死ぬものが不死を着るとき、「死は勝利にのまれた。」としるされている、みことばが実現します。
55 「死よ。おまえの勝利はどこにあるのか。死よ。おまえのとげはどこにあるのか。」
56 死のとげは罪であり、罪の力は律法です。
57 しかし、神に感謝すべきです。神は、私たちの主イエス・キリストによって、私たちに勝利を与えてくださいました。
58 ですから、私の愛する兄弟たちよ。堅く立って、動かされることなく、いつも主のわざに励みなさい。あなたがたは自分たちの労苦が、主にあってむだでないことを知っているのですから。
「死」は誰にとっても恐ろしいもの、忌み嫌われるもの、悲しいものです。それはなぜでしょう。創世記には人間が罪を犯し神様から離れた結果、人類に死が入り込んだと記されています。すなわち、このように言う事が出来ます。「死」というのは、神様から離れている状態、神様が共におられない状態だということです。だから、人類にとっては一番の悲しみであり、不幸であり、恐れなのです。人々の心に神様がいないから、神様を拒否しているから、神様はいないと否定しているから、死は恐ろしいものでしかないのです。さらに「血肉のからだは神の国を相続できません。朽ちるものは、朽ちないものを相続できません。」(Ⅰコリント15:50)罪によりやがて朽ち果てていくしかない人間は決して神の国(天国)を相続できないというのです。
では、どうすれば神の国を相続できるのでしょうか。答えは「死」を乗り越えるほかありません。「死」に勝利するしかありません。それは罪人である人間には絶対に出来ないことです。罪と死の呪いを打ち破り復活したいのちを頂く以外に方法はありません。それは、神の独り子イエス・キリストによって与えられます。2000年前に十字架の死から復活したイエス様は天に昇られましたが、再びこの世に来られます。そのとき以下の出来事が起こります。「終わりのラッパとともに、たちまち、一瞬のうちにです。ラッパが鳴ると、死者は朽ちないものによみがえり、私たちは変えられるのです。朽ちるものは、必ず朽ちないものを着なければならず、死ぬものは、必ず不死を着なければならないからです。しかし、朽ちるものが朽ちないものを着、死ぬものが不死を着るとき、『死は勝利にのまれた。』としるされている、みことばが実現します。」(Ⅰコリント15:52-54)主を信じ、復活のいのちを持つ者たちは、朽ちることのない栄光の身体が与えられるというのです。しかも、その者たちの行きつく先は、完全なる神が治められる安息の世界だというのです。恐れや嘆きはなく、感謝と賛美のみがある世界です。「見よ。神の幕屋が人とともにある。神は彼らとともに住み、彼らはその民となる。また、神ご自身が彼らとともにおられて、彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださる。もはや死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない。なぜなら、以前のものが、もはや過ぎ去ったからである。」(黙示録21:3-4)まさに、平和の神である唯一の神様が治める場所が天国なのであり、そこが私たちの目指すべき所であり、復活のいのちを持つ者に対する約束の地なのです。
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