2012年7月3日火曜日

福音は勝利の宣言

エペソ人への手紙6章19~20節
 19 また、私が口を開くとき、語るべきことばが与えられ、福音の奥義を大胆に知らせることができるように私のためにも祈ってください。
 20 私は鎖につながれて、福音のために大使の役を果たしています。鎖につながれていても、語るべきことを大胆に語れるように、祈ってください。

福音と言う言葉は、もともと戦勝報告を意味する言葉です。キリスト者にとって霊的戦いの結末は必ず勝利で終わるのです。ではキリスト者は何に対して勝利を得ているのでしょうか。
一つ目は罪の負債に対する勝利です。コロサイ書2章13~14節に「あなたがたは罪によって、また肉の割礼がなくて死んだ者であったのに、神は、そのようなあなたがたを、キリストとともに生かしてくださいました。それは、私たちのすべての罪を赦し、いろいろな定めのために私たちに不利な、いや、私たちを責め立てている債務証書を無効にされたからです。神はこの証書を取りのけ、十字架に釘づけにされました。」とあります。悪魔サタンは私たちのどうにもならない罪の問題を通して私たちの存在を責め、混乱させ、動揺させてきますが、主は十字架で勝利を取ってくださいました。
二つ目は孤独に対する勝利です。アダムの堕落によって彼らはエデンの園を追放されて以来、人類にとって孤独は大きなトラウマとなってしまいました。しかし、聖書は語ります。ヘブル13章5節「主ご自身がこう言われるのです。『わたしは決してあなたを離れず、また、あなたを捨てない。』」、ローマ8章31節「神が私たちの味方であるなら、だれが私たちに敵対できるでしょう。」同8章33節「神に選ばれた人々を訴えるのはだれですか。神が義と認めてくださるのです。罪に定めようとするのはだれですか。死んでくださった方、いや、よみがえられた方であるキリスト・イエスが、神の右の座に着き、私たちのためにとりなしていてくださるのです。私たちをキリストの愛から引き離すのはだれですか。患難ですか、苦しみですか、迫害ですか、飢えですか、裸ですか、危険ですか、剣ですか。『あなたのために、私たちは一日中、死に定められている。私たちは、ほふられる羊とみなされた。』と書いてあるとおりです。しかし、私たちは、私たちを愛してくださった方によって、これらすべてのことの中にあっても、圧倒的な勝利者となるのです。」
三つ目は人類にとって決して解決不可能な問題、死に対する勝利です。Ⅰコリント15章53節~57節「朽ちるものは、必ず朽ちないものを着なければならず、死ぬものは、必ず不死を着なければならないからです。しかし、朽ちるものが朽ちないものを着、死ぬものが不死を着るとき、『死は勝利にのまれた。』としるされている、みことばが実現します。『死よ。おまえの勝利はどこにあるのか。死よ。おまえのとげはどこにあるのか。』死のとげは罪であり、罪の力は律法です。しかし、神に感謝すべきです。神は、私たちの主イエス・キリストによって、私たちに勝利を与えてくださいました。
キリスト者はこの勝利を世に向かって大胆に宣言することが出来るのです。真のキリスト者に敗北の二文字は無いのです。

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