エペソ4章7~13節
7 しかし、私たちはひとりひとり、キリストの賜物の量りに従って恵みを与えられました。
8 そこで、こう言われています。「高い所に上られたとき、彼は多くの捕虜を引き連れ、人々に賜物を分け与えられた。」
9 ――この「上られた。」ということばは、彼がまず地の低い所に下られた、ということでなくて何でしょう。
10 この下られた方自身が、すべてのものを満たすために、もろもろの天よりも高く上られた方なのです。――
11 こうして、キリストご自身が、ある人を使徒、ある人を預言者、ある人を伝道者、ある人を牧師また教師として、お立てになったのです。
12 それは、聖徒たちを整えて奉仕の働きをさせ、キリストのからだを建て上げるためであり、
13 ついに、私たちがみな、信仰の一致と神の御子に関する知識の一致とに達し、完全におとなになって、キリストの満ち満ちた身たけにまで達するためです。
教会が「一致」することを聖書は語りますが、決して「一色」になることを語ってはいません。なぜなら、キリストご自身が、賜物のはかりに従って、一人一人に個性的な、豊かな賜物を与えておられるからです。『救いの恵みは全員に同じだが、個々の信徒への天賦の才は十人十色』(レンスキ)との言葉の通りです。では、各自に豊かな賜物が与えられた、委ねられた理由はなんでしょう。それは、「聖徒たちを整えて奉仕の働きをさせ、キリストのからだを建て上げるためであり、ついに、私たちがみな、信仰の一致と神の御子に関する知識の一致とに達し、完全におとなになって、キリストの満ち満ちた身たけにまで達するため」です。キリストを頭とした教会が一致した信仰により、成熟し成長することで、教会自体がキリストご自身を表わすため、教会という存在を通してキリストを証しするためです。人々が教会を見て「ここにイエス様がいらっしゃる」「イエス様は救い主で今も生きて働いておられる」と悟ることができるように、主は教会に豊かな賜物を与えて下さったというのです。ですから、賜物は自分のためではなく、主の栄光のために捧げられるものです。もしそうしなければ、却って、一致が破壊されてしまい、分裂が生じてしまうのです。主を喜び、主のために仕えることこそが、自分自身の喜びとなるように願います。
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