2012年1月21日土曜日

すべてが新しく

ローマ人への手紙11章33節~12章2節
11:33 ああ、神の知恵と知識との富は、何と底知れず深いことでしょう。そのさばきは、何と知り尽くしがたく、その道は、何と測り知りがたいことでしょう。
34 なぜなら、だれが主のみこころを知ったのですか。また、だれが主のご計画にあずかったのですか。
35 また、だれが、まず主に与えて報いを受けるのですか。
36 というのは、すべてのことが、神から発し、神によって成り、神に至るからです。どうか、この神に、栄光がとこしえにありますように。アーメン。
12:1 そういうわけですから、兄弟たち。私は、神のあわれみのゆえに、あなたがたにお願いします。あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。
2 この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。

あなたは「新しい」、「新鮮」、「ニュー」などの言葉に敏感な方でしょうか。聖書には、主と共にある者は、常に「新しさ」があるとあります。新しい歌(賛美)が溢れ、魂が新しくされ、朝毎に新しい恵みがあるというのです。外面的には人間は衰えていきます。年配の方で確かに若々しい人がいますが、それは若々しいだけであり、実際に若い訳ではありません。モノやシステムも登場した時は最新のものであっても、しかしその瞬間から時間の流れに従って古くなるのです。しかし、聖書が言う「新しさ」は、時代や環境、文化、そして時間に左右されない新しさであり、新しく創造的に創られるものです。それは、神様ご自身が、アルファであり、オメガである、初めであり、終わりである、つまり永遠のお方だからです。「すべてのことが、神から発し、神によって成り、神に至るから」常に新しい御業を期待することができるのです。ですから、私たち信仰者は、自分自身の狭い考えや常識、伝統や経験、凝り固まった固定観念で豊かな信仰の世界を妨げてはいけません。2000年前、使徒の時代に働かれた聖霊の神は、今も同じ御業を成すことができるのです。三千数百年以上前に出エジプトを導かれた神は、今も変わらず人々を導くことがおできになるのです。神にとっては千年も一日のようなのだと聖書は言うのです。ですから大切なのは、自分に神様(みことば)を合わせるのではなく、神様ご自身の権能に、御言葉の能力に、自分を合わせるのです。主の御言葉で、聖霊の力で、「わたしを聖め、主のものとして、主のみこころのままに私を新しくつくり変えてください」と祈るのです。新しい年に、主の新しい恵みを期待しましょう。

0 件のコメント:

コメントを投稿