第一テサロニケ5章23~24節
23平和の神ご自身が、あなたがたを全く聖なるものとしてくださいますように。主イエス・キリストの来臨のとき、責められるところのないように、あなたがたの霊、たましい、からだが完全に守られますように。
24 あなたがたを召された方は真実ですから、きっとそのことをしてくださいます。
1999年には世界の終わりが来るとずいぶん騒がれたものですが、2012年にも世の終わりが来ると唱えている者がいるそうです。マヤ文明において用いられた歴がそれを指し示しているのだそうです。しかし、このマヤ歴と終末論の背景にはニューエイジ(日本ではスピリチュアルという言葉の方が馴染みがあるでしょう)の影響があるのです。ニューエイジは1960年代のアメリカのカウンターカルチャー(狭義にはヒッピームーブメントやロックなど)をその直接の起源とし、既存の文明や科学、政治体制などに批判を加え、それらから解放された、自由な生き方を模索しようとする精神運動だと言えます。そして、その特徴の一つに、「自己聖化」というのがあるそうです。「すべてのものは聖なるものである。」という前提があるので、神はもはや必要なく、人間の秘めたる力や可能性の追求によって、解放された自己の実現を目指すものです。
しかし、これは明らかに聖書の教えに反することです。確かに「神のみこころは、あなたがたが聖くなることです。」(Ⅰテサロニケ4:3)が、それを成し遂げるのは、人間の努力ではなく「平和の神ご自身」だと聖書は語ります。ニューエイジは、一見すると宗教的で、自由な発想に思えますが、しかし、聖書が禁じている不品行を肯定し、人間の罪の性質に対しては目をつぶります。その行きつく先は自由や解放ではなく、却って人間を罪の奴隷状態に貶めてしまうのです。人類を罪から救い、聖め、真の自由を与えるのは、神の御子なるイエス・キリストの十字架の血潮のみです。
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