エペソ人への手紙3章1~6節
1 こういうわけで、あなたがた異邦人のためにキリスト・イエスの囚人となった私パウロが言います。
2 あなたがたのためにと私がいただいた、神の恵みによる私の務めについて、あなたがたはすでに聞いたことでしょう。
3 先に簡単に書いたとおり、この奥義は、啓示によって私に知らされたのです。
4 それを読めば、私がキリストの奥義をどう理解しているかがよくわかるはずです。
5 この奥義は、今は、御霊によって、キリストの聖なる使徒たちと預言者たちに啓示されていますが、前の時代には、今と同じようには人々に知らされていませんでした。
6 その奥義とは、福音により、キリスト・イエスにあって、異邦人もまた共同の相続者となり、ともに一つのからだに連なり、ともに約束にあずかる者となるということです。
信仰生活の中で、私たちは様々な神様の恵みを体験しますが、その御業がどのような形でなされるか、いつ起こるかなどは、人が悟ることはできません。当然ながら人が操作することもできません。それはまさに「神の業」であり、人知を遥かに超えた神の力によって成し遂げられるからです。「罪からの救い」ひとつを考えてみてもそうでしょう。十字架の贖罪は、科学万能主義の現代に生きる我々が理性だけで悟ることができるでしょうか。いいえ、できません。これはすべて神の奥義であり、人間の努力や修行によって、到達するのではなく、神からの啓示によって示され、聖霊によって悟るという神の奥義なのです。神はこの世の知者や賢者、権力者、立派な宗教家などといった特定の選ばれた者を通して、ご自身を表わすのではありません。どんな人でも、たとえ人から愚かだと言われるような者であったとしても、謙遜に主を求め、自らの罪を認め、告白し、へりくだって祈るものであるなら、主はご自身を聖書を通して、啓示され、臨んでくださいます。そして、天の御国を受け継ぐ者にしてくださるのです。
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