エペソ人への手紙2章11節から16節
11ですから、思い出してください。あなたがたは、以前は肉において異邦人でした。すなわち、肉において人の手による、いわゆる割礼を持つ人々からは、無割礼の人々と呼ばれる者であって、
12 そのころのあなたがたは、キリストから離れ、イスラエルの国から除外され、約束の契約については他国人であり、この世にあって望みもなく、神もない人たちでした。
13 しかし、以前は遠く離れていたあなたがたも、今ではキリスト・イエスの中にあることにより、キリストの血によって近い者とされたのです。
14 キリストこそ私たちの平和であり、二つのものを一つにし、隔ての壁を打ちこわし、
15 ご自分の肉において、敵意を廃棄された方です。敵意とは、さまざまの規定から成り立っている戒めの律法なのです。このことは、二つのものをご自身において新しいひとりの人に造り上げて、平和を実現するためであり、
16 また、両者を一つのからだとして、十字架によって神と和解させるためなのです。敵意は十字架によって葬り去られました。
人間の中には、差別意識や優越心、或いは敵対心といった感情があります。それを露骨に表に出す場合もありますし、密かに抱いている場合もまた多いでしょう。かつて、イスラエルの神殿には、隔ての壁が存在していました。神殿と異邦人の庭との間に石の壁が建っており、そこにはギリシャ語とラテン語でこう書かれてあったそうです。「他民族の誰も、宮の壁の中にも、また囲いの地にも入ってはいけない。そして、誰でもこの規則を破るものは結果的に、自らの身に死を招くことになる」
しかし、聖書にはこう記されています。「主イエス・キリストの十字架によって、敵意は廃棄された。葬り去られた。」
まず、私たちは神との和解が必要です。私たちを創造し、最も愛し、慈しんで下さっているにも関わらず、私たちが一方的に関係を断ち切ってしまった神様との和解です。そしてそのことが成し遂げられたなら、次に人間関係における和解が実現します。敵を愛することができるように神様が私たちを作りかえて、きよめてくださるのです。もし心に葛藤を覚えている人がいるなら、このように祈ってみてください。「私たちの負いめをお赦しください。私たちも、私たちに負いめのある人たちを赦しました。」(マタイ6章12節)
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