2012年9月25日火曜日

主は良い牧者


エゼキエル34章11節から16節

 11 まことに、神である主はこう仰せられる。見よ。わたしは自分でわたしの羊を捜し出し、これの世話をする。
 12 牧者が昼間、散らされていた自分の羊の中にいて、その群れの世話をするように、わたしはわたしの羊を、雲と暗やみの日に散らされたすべての所から救い出して、世話をする。
 13 わたしは国々の民の中から彼らを連れ出し、国々から彼らを集め、彼らを彼らの地に連れて行き、イスラエルの山々や谷川のほとり、またその国のうちの人の住むすべての所で彼らを養う。
 14 わたしは良い牧場で彼らを養い、イスラエルの高い山々が彼らのおりとなる。彼らはその良いおりに伏し、イスラエルの山々の肥えた牧場で草をはむ。
 15 わたしがわたしの羊を飼い、わたしが彼らをいこわせる。――神である主の御告げ。――
 16 わたしは失われたものを捜し、迷い出たものを連れ戻し、傷ついたものを包み、病気のものを力づける。わたしは、肥えたものと強いものを滅ぼす。わたしは正しいさばきをもって彼らを養う。

 羊はイスラエル人にとって最も身近であり、生活を支えていた動物でした。その性質は、おとなしく、素直で、従順ですが、反面、愚かで、弱く、迷いやすい人間を表す形容としても用いられています。ここで言う羊とは神によって選ばれ、祝福の民として、神の守りの中にいながらも、神に背き、バビロンに捕囚されたイスラエルの民の姿を表わしています。そんな愚かな羊の姿として描かれている民でありましたが、神は彼らを「わたしの羊」と呼んでいます。そして、主はこのように語られます。「わたしは失われたものを捜し、迷い出たものを連れ戻し、傷ついたものを包み、病気のものを力づける。わたしは、肥えたものと強いものを滅ぼす。わたしは正しいさばきをもって彼らを養う。」(16節)国を奪われ、神殿を破壊され、異教の国での暮らしを余儀なくされている、まさに失われた状態である彼らに対し、神はどこまでも憐れみ深く、「捜し」、「連れ戻し」、「包み」、「力づけ」、「敵を滅ぼし」、「正しいさばきを持って養う」と語れるのです。愛と癒しと義と聖であられる神の姿をここに見ることができます。あなたが今主なる神に求めるならば、主イエスの御名を呼ぶならば、神はご自身の姿を表わして下さいます。

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