ルカの福音書46節から55節
46「わがたましいは主をあがめ、
47 わが霊は、わが救い主なる神を喜びたたえます。
48 主はこの卑しいはしために目を留めてくださったからです。ほんとうに、これから後、どの時代の人々も、私をしあわせ者と思うでしょう。
49 力ある方が、私に大きなことをしてくださいました。その御名は聖く、
50 そのあわれみは、主を恐れかしこむ者に、代々にわたって及びます。
51 主は、御腕をもって力強いわざをなし、心の思いの高ぶっている者を追い散らし、
52 権力ある者を王位から引き降ろされます。低い者を高く引き上げ、
53 飢えた者を良いもので満ち足らせ、富む者を何も持たせないで追い返されました。
54 主はそのあわれみをいつまでも忘れないで、そのしもべイスラエルをお助けになりました。
55 私たちの先祖たち、アブラハムとその子孫に語られたとおりです。」
ついこの間まで、ブータンの国王夫妻が日本を訪問され、各地で爽やかな風をもたらしてくれました。ブータンは世界で一番幸福度が高い国だそうです。しかし、幸せというものは演じて出来るものではありません。決して思い込みでもありません。
イエスの母マリヤは自らを「しあわせ者」であると歌っています。しかもこれから後、どの時代の人々もそう思うだろうと彼女は言うのです。ここで言う幸せとは、単に自分の欲求が満たされていることや、満足しているさまを言っているのではありません。この言葉は、ギリシヤ語でマカリオスと言い、時間や状況によって変動するこの世のはかない幸せではなく、また悲しみや不運によっても消えることのない神の祝福を意味しています。では、その神から来る消えることのない幸せはどのようにして得ることができるのでしょうか。それは、主の「はしため」として生きると言うことです。つまり聖さと謙遜さです。自らを低くするということです。御言葉が語るように、心の思いの高ぶっている者は追い散らされますが、低い者は高く引き上げるのです。
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